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1) 昭和60年8月15日 秋高同窓会だよ 20 蛋慧磁亀覧慧鶴瓶藍遡 10月中に着工 秋田高等学校同窓会 秋田マイクロ写真 印刷棟式会社 母校の校舎改築が具体的に動き出した。改築工事は十月から れるが、着工を前に夏休み中に旧校舎の取り壊し作業が行われ 事務局報 l・8 1・22 2・8 一60年1月以降一 秋田市役所羽城会総会 第四回組織検討委員会 同窓会役員会・校舎改 大館支部総会 第六回組織検討 第六十二期会 卒業式・同窓会入会式 組織検討委員会より副 築期成同盟会合同会議 2・13 第五回組織検討委員会 会長に対して答申 3・14 湯沢・雄勝支部総会 3・22 幹事・常任理事・支部 長代表に答申 3・24 五城 3・29 東肥羽 4・17 副会長・幹 4・20 新屋地区同窓 5・21 常置委員会委員長 6・15 鷹巣・阿仁支部総会 昭和27・29・39同期会 6・19 常置委員会合同会議 6・22 大曲支部総会 7・2 副会長 7・4 企画委員 7・8 名簿委員会 7・9 広報委員会 7・12 副会長・正副委員 企画委員合同会議 7・16 東京支部総会 7・29 理事会 8・18 昭和六十年度総会 十駁∵十~十 1 -=====二:≡≡型 萱妄壷i rt 匹l男 矩鞘釦整整調沌 遠謀敷詰冨 田臨謳最澄㌍ 、、 蚊磁 鰐照準攣攣讐空顎翌崇坪野畢程㌍響軽 圃n-学 園画 i私感理 ..........患芸慧≡≡票遜l Eロ 日㌘欄欒Ⅰ車 彿鱒轡癖酪欒蝉攣 諸‥‥‥l〜l….‥一一1... 弟・ 費÷竿道 空襲豆 y 計画によると新校舎は、鉄筋 コンクリート地上三階建てて、 延べ床面積七千百八十九平方昌。 一階部分は教職員室、会議室、 保健室などて計千六百七十三平 方昌。二階は社会教室、国語教 室、図書室など計二十室合わせ て三千二百七十八平方㍍。三階 は外国語教室、数学教室など計 二十室合わせて二千二百三十八 平方㍍。総事業費は十六億八千 二百万円。国の補助が三分の一、 残りは県費そのうち起債が五億 九千二百万円。 新校舎は、学校建築設計の第 一人者・長倉都立大教授の設計 によるものて生徒同士の交流、 談話、集会、部活動に利用する ため二階中央に約五百平方㍍の コモンスペースと呼ばれる広場 を設け、三階まで吹き抜けにな っているのが大きな特徴。 また、教室の配列も従来の廊 下片側に一列に並べる方式を改 め、コモンスペースを囲むよう に一体的に配列することや科目 ことに資料を整備したゼミ室、 準備室を設け、生徒が自主的に 学習できるようにすること、三 年生のホームルーム室と教科教 室を別々にするなど、これまで 県内にない試みもふんたんに取 り入れた草期的な設計となって いる。 同窓会事務局も移転 校舎の取り壊しに伴ない、同 窓会の事務局も小体育館一階に 図書室と共に移動した。 事務担当の桜谷先生がこれまで どおり毎週月曜と木曜の二回出 勤する。 脚‾‾「 P L 延べ床面積九千百五十八平方 ㍍の現校舎のうち、北棟と新棟 を除いた中棟、南棟、管理棟部 分計六千八平方㍍を取り壊し建 設するものだが、夏休みに入る 管理棟の取。壊し作業現場と 二学期から授業が行われる仮設 校害 姜竹芝笈仇老肋仇老敬仇蒙肋仇夏蒙芽蒙葬を竹亥老竹肋坊仇仇夏左穿蒙仇仇芽孝者肋肋坊玄切妻仇左仇蒙葬妾宅亥仇老壬委書芸竹玄笈仇孝蒙者笈仇玄切亥芽穿蒙亥笈敬切仇仇星左以宅孝∽肋z笈仏書孝竹肋仏案肋仇亥竹竹肋肋肋仇老竹竹切坊仇仇委左方蒙菱切偽仇老蔓敬切仏仇宴芽仇老孝∽偽仇仏仇左茅芽切仇老幼夏老芽老若竹肋笈肋 この四月から皆様の母校に着 任いたしました畑沢てす。さき に十年程、教諭として勤務して おりましたので、秋田高校の輪 郭の一部は承知したつも。てあ 。ましたが、しかしそれも駅前 校舎の頃でありますし、また浅 学でもありますので、皆様のご 期待にそい得ないのではないか と危惧しているところでありま す。よろしくご鞭接の程、お願 いいたします。 ところて、いかなる時世にも、 本校が県下の中心校であります ことは疑問の余地なく、その一 挙一動が他校に与える影響は、 一、校舎改築であ。ます。 これまての校舎一管理棟・教 室穣一は破損が甚だしく、改築 をすることにな。ました。七月 中旬から解体工事に入り、十月 頃から建築、そして来年九月に 本校には、先輩各位の築かれ た″文武両道〞という輝かしい 伝統があります。しかし、県内 にも六十三の高校がありますし、 また、進学をも重視しなければ ならない本校のクラフ活動は、 責務の r・悠 決して少なくはありません。 着任を機に、責務の大きさを 今更ながら痛感しているところ であります。 さて、当面の課堰の二、三に ついて申しあげますと。 大きさ痛感 校長畑 は完成の予定であります。三十 八年以降の卒業の方々にはさび しいことと存じますが、時代の 変化に応じたすはらしい校舎と なりますので、こ期待ください。 二、クラブ活動の振興 沢潤一′〝 この伝統を維持するには、かな りの努力を要するところであり ます。幸いにも本年は、剣道の 全県および東北大全ての優勝を はじめ、柔道、水泳、卓球、バド ミントン等が準優勝しました。 その他、個人でも数種目優勝 しておりますし、野球部の尻上 りの好調も予想されますので、 まずまずの成果てはないかと考 えております。今後ともこの振 興には努力したいと存じますの で、皆様のこ鞭接をお願いいた します。 進学面につきましては、やや 進取の気象に欠けるきらいも無 くはありませんが、クラブ活動 の振興による学校全体の士気の 昂揚をはかりながら、本校らし い進学の充実に努めてまいりた いと存じます。 二百、学校の近況を述べなが ら着任のこ挨拶といたします。 と同時に教職員室、図書室、保 健室か小体育館の一階に、同二 階に事務室と校長室が引越した 後、取り壊し作業が始まった。 着工は十月で新校舎の完成は 来年九月の予定だが、工事に伴 ない授業は二学期から北棟と新 棟のほか、校舎北側に完成した 木造平屋建て床面積千八百六十 一平方昌の仮設校舎一十六教室一 て行われる。 「戦争のない文明」 の出版祝う 丸ノ内さん喜寿を祈念 丸ノ内久さん一昭2卒一の「戦 争のない文明」の出版祝賀会が、 七月二十九日梅津良之さんら六 人を発起人としてアキタニュー グランドホテルて盛大に行われ た。丸ノ内さんの喜寿の記念も かねて七〇〇部自費出版したも のである。 ¶- r ′㌧ l覿臥 氏はこれまでも数冊の著書が あり、秋高百年史の編纂委員長 としてもご尺、力いただいた。 氏はこれを、広く中央各界、 地方自治体首長有志に贈呈し、 広くこ批判ご感想をお願いした いとのこと。 (文責・桜谷一 師生酒の溝苗に 玲】各 エ} 竃ト ⇒・玲 0 0 時・.玲 秋嵩義政郷、也 8 玲・+玲・:0 0 玲・.玲 秋山前板着より便り 甲子園出場や秋高生が大活躍し た秋田インタハイ等々がありま したし、格技場焼失という申し わけない出来事もありました。 そのとれをと。ましても、同窓 のみなさんの絶大なこ支援のも とに先生、生徒と一体になって 退職にあたっての種々のセレ モニーが続きましたが、最近や っと新しい生活に入りました。 秋高での五年は三十有余年の 教師生活の結晶みたいな感じて、 思い出のすべてがこの五年に集 中しています。赴任以来続いた 校舎改築、二〇周年記念行事、 やった事を思うにつけ、しあわ せな年しあわせな出会いであっ たと思わずにいられません。反 面、非才の私のことですがらみ なさんにこ心配をおかけするこ とも多かったと反省してますか、 力量豊かな畑沢校長先生が着任 されましたので私の至らぬとこ ろをどんどんやって下さるもの と虫のよいことを考えたりして お。ます。 只今は、紙上、秋高の活字か 見えますと吾が事のように喜ん だり残念がったりしています。 幸い秋田市内に住んでおります のて、これから始まる野球を始 め生徒諸君の活躍ぶりを直接拝 見できるのを楽しみにしてお。 ます。 退職以来、先生がたや生徒た ちそれにこ父兄や同窓会の方々 とお声をかけて下さいまして本 当に有難く存じてますが、今後 ともこ交誼の程よろしくお願い いたします。 秋高同窓会の一層の御発展を 心から祈念いたします。 天上天下 新しい皮袋には新 一九八五年、昭和六十 年は、母校にとって、新し 史の創造の年となろうとして る▼そのひとつは、校舎の全面 改築。総工費十六億円余、校舎 の形式は、従来のカマボコ聖、 タテ棟方式を三百八十度転回し て、管理棟を中心に、教科別棟 とする新形式▼思、之は、本層の ナンバーワンスクールとして誕 生し、ことしで百十二年を迎え た星霜のなかで、母校ほど、移 転に次く移転、そして焼失と校 舎難にあえいた学校は、これま た県内のナンバーワンであろう ▼それがやっと、校舎改築期成 同盟会の永年の努力と、校友各 層の熱望が実って、県当局を動 かし、東北でも珍しい新形式の 校舎として明年新しい姿をあら わす。新しい皮袋はできる▼新 しい酒は。畑沢新校長以下教職 員と生徒の新しい波にまつしか ない。聞くところによれば、新 校長は教室現場の把握を基礎に 新しい校風の創造に動き始めた。 これに対する生徒の呼応も間近 いことと思う▼もうひとつの新 しい酒は。同窓会の活性化組織 てある。歴史はつねに進歩と創 造によってのみ作られてゆく。 停滞と逆行は歴史の進行をとど めるのみならず、破壊してゆく ▼百十二年の歴史はまさにその 曲り角にきていた。校友の幹部 と、心ある人々の熱意がついに 実って、死せる同窓会をよみが えらせるための活性化対策が、 紙面に見られるように実現した ▼たが、画を描くのは易しいが、 実行は並々ならぬ努力と困難が 伴うだろう。しかし、はっきり している事実がひとつだけある。 やらなければ、一世紀余の同窓 会は、ローマの如く滅亡の道を 辿る、ということてある▼歴史 は、時間の産物てはない。進歩 か、停滞か、退歩かの人間の歩 みてある。人はそれを歴史と名 付けてきた。そしてともすれば、 天与のものか、人から与、えられ るものと錯覚する。私達はどち らを選択するか。

モーPL - akitahs-doso.jpakitahs-doso.jp/dayori/20/dayori_20.pdf · この四月から皆様の母校に着姜竹芝笈仇老肋仇老敬仇蒙肋仇夏蒙芽蒙葬を竹亥老竹肋坊仇仇夏左穿蒙仇仇芽孝者肋肋坊玄切妻仇左仇蒙葬妾宅亥仇老壬委書芸竹玄笈仇孝蒙者笈仇玄切亥芽穿蒙亥笈敬切仇仇星左以宅孝∽肋z笈仏書孝竹肋仏案肋仇亥竹竹肋肋肋仇

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Page 1: モーPL - akitahs-doso.jpakitahs-doso.jp/dayori/20/dayori_20.pdf · この四月から皆様の母校に着姜竹芝笈仇老肋仇老敬仇蒙肋仇夏蒙芽蒙葬を竹亥老竹肋坊仇仇夏左穿蒙仇仇芽孝者肋肋坊玄切妻仇左仇蒙葬妾宅亥仇老壬委書芸竹玄笈仇孝蒙者笈仇玄切亥芽穿蒙亥笈敬切仇仇星左以宅孝∽肋z笈仏書孝竹肋仏案肋仇亥竹竹肋肋肋仇

1) 昭和60年8月15日             秋高同窓会だよ り                    第 20 号

蛋慧磁亀覧慧鶴瓶藍遡

10月中に着工

発 行 者

秋 田 県 立

秋田高等学校同窓会

印 刷 所

秋田マイクロ写真印刷棟式会社

母校の校舎改築が具体的に動き出した。改築工事は十月から行わ

れるが、着工を前に夏休み中に旧校舎の取り壊し作業が行われた。

事務局報

l

8

1

2

2

2

8

一60年1月以降一

秋田市役所羽城会総会

第四回組織検討委員会

同窓会役員会・校舎改

2・212・263・23・73・9

大館支部総会

第六回組織検討委員会

第六十二期会

卒業式・同窓会入会式

組織検討委員会より副

築期成同盟会合同会議

2・13 第五回組織検討委員会

会長に対して答申

3・14 湯沢・雄勝支部総会

3・22 幹事・常任理事・支部

長代表に答申

3・24 五城目支部総会

3・29 東肥羽城会総会

4・17 副会長・幹事会

4・20 新屋地区同窓の集い

5・21 常置委員会委員長会議

6・15 鷹巣・阿仁支部総会

昭和27・29・39同期会

6・19 常置委員会合同会議

6・22 大曲支部総会

7・2 副会長・委員長会議

7・4 企画委員会

7・8 名簿委員会

7・9 広報委員会

7・12 副会長・正副委員長

企画委員合同会議

7・16 東京支部総会

7・29 理事会

8・18 昭和六十年度総会

十駁∵十~十

1  -=====二:≡≡型萱妄壷i

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矩鞘釦整整調沌

遠謀敷詰冨田臨謳最澄㌍

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i私感理..........患芸慧≡≡票遜lEロ

日㌘欄欒Ⅰ車

彿鱒轡癖酪欒蝉攣

諸‥‥‥l~l….‥一一1...、    ・

弟・

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竿

義ヽ

 

y乾

計画によると新校舎は、鉄筋

コンクリート地上三階建てて、

延べ床面積七千百八十九平方昌。

一階部分は教職員室、会議室、

保健室などて計千六百七十三平

方昌。二階は社会教室、国語教

室、図書室など計二十室合わせ

て三千二百七十八平方㍍。三階

は外国語教室、数学教室など計

二十室合わせて二千二百三十八

平方㍍。総事業費は十六億八千

二百万円。国の補助が三分の一、

残りは県費そのうち起債が五億

九千二百万円。

新校舎は、学校建築設計の第

一人者・長倉都立大教授の設計

によるものて生徒同士の交流、

談話、集会、部活動に利用する

ため二階中央に約五百平方㍍の

コモンスペースと呼ばれる広場

を設け、三階まで吹き抜けにな

っているのが大きな特徴。

また、教室の配列も従来の廊

下片側に一列に並べる方式を改

め、コモンスペースを囲むよう

に一体的に配列することや科目

ことに資料を整備したゼミ室、

準備室を設け、生徒が自主的に

学習できるようにすること、三

年生のホームルーム室と教科教

室を別々にするなど、これまで

県内にない試みもふんたんに取

り入れた草期的な設計となって

いる。同窓会事務局も移転

校舎の取り壊しに伴ない、同

窓会の事務局も小体育館一階に

図書室と共に移動した。

事務担当の桜谷先生がこれまで

どおり毎週月曜と木曜の二回出

勤する。

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モーPL延べ床面積九千百五十八平方

㍍の現校舎のうち、北棟と新棟

を除いた中棟、南棟、管理棟部

分計六千八平方㍍を取り壊し建

設するものだが、夏休みに入る

管理棟の取。壊し作業現場と

二学期から授業が行われる仮設

校害

姜竹芝笈仇老肋仇老敬仇蒙肋仇夏蒙芽蒙葬を竹亥老竹肋坊仇仇夏左穿蒙仇仇芽孝者肋肋坊玄切妻仇左仇蒙葬妾宅亥仇老壬委書芸竹玄笈仇孝蒙者笈仇玄切亥芽穿蒙亥笈敬切仇仇星左以宅孝∽肋z笈仏書孝竹肋仏案肋仇亥竹竹肋肋肋仇老竹竹切坊仇仇委左方蒙菱切偽仇老蔓敬切仏仇宴芽仇老孝∽偽仇仏仇左茅芽切仇老幼夏老芽老若竹肋笈肋笈偽老竹竹仇老竹肋仇仇仇“孝者蒙仇仏名敬肋仇仇仇妻妾切仇筋夏毛切切坊仇笈仇仇仇以蒙者老仇仇仇妻妾坊蒙切仇仇仇老竹肋仏案仇仇老子仇

この四月から皆様の母校に着

任いたしました畑沢てす。さき

に十年程、教諭として勤務して

おりましたので、秋田高校の輪

郭の一部は承知したつも。てあ

二。ましたが、しかしそれも駅前

校舎の頃でありますし、また浅

学でもありますので、皆様のご

期待にそい得ないのではないか

と危惧しているところでありま

す。よろしくご鞭接の程、お願

いいたします。

ところて、いかなる時世にも、

本校が県下の中心校であります

ことは疑問の余地なく、その一

挙一動が他校に与える影響は、

一、校舎改築であ。ます。

これまての校舎一管理棟・教

室穣一は破損が甚だしく、改築

をすることにな。ました。七月

中旬から解体工事に入り、十月

頃から建築、そして来年九月に

本校には、先輩各位の築かれ

た″文武両道〟という輝かしい

伝統があります。しかし、県内

にも六十三の高校がありますし、

また、進学をも重視しなければ

ならない本校のクラフ活動は、

責務の己

r・悠

決して少なくはありません。

着任を機に、責務の大きさを

今更ながら痛感しているところ

であります。

さて、当面の課堰の二、三に

ついて申しあげますと。

大きさ痛感

校 長 畑

は完成の予定であります。三十

八年以降の卒業の方々にはさび

しいことと存じますが、時代の

変化に応じたすはらしい校舎と

なりますので、こ期待ください。

二、クラブ活動の振興

 

 

この伝統を維持するには、かな

りの努力を要するところであり

ます。幸いにも本年は、剣道の

全県および東北大全ての優勝を

はじめ、柔道、水泳、卓球、バド

ミントン等が準優勝しました。

その他、個人でも数種目優勝

しておりますし、野球部の尻上

りの好調も予想されますので、

まずまずの成果てはないかと考

えております。今後ともこの振

興には努力したいと存じますの

で、皆様のこ鞭接をお願いいた

します。

進学面につきましては、やや

進取の気象に欠けるきらいも無

くはありませんが、クラブ活動

の振興による学校全体の士気の

昂揚をはかりながら、本校らし

い進学の充実に努めてまいりた

いと存じます。

二百、学校の近況を述べなが

ら着任のこ挨拶といたします。

と同時に教職員室、図書室、保

健室か小体育館の一階に、同二

階に事務室と校長室が引越した

後、取り壊し作業が始まった。

着工は十月で新校舎の完成は

来年九月の予定だが、工事に伴

ない授業は二学期から北棟と新

棟のほか、校舎北側に完成した

木造平屋建て床面積千八百六十

一平方昌の仮設校舎一十六教室一

て行われる。

「戦争のない文明」

の出版祝う

丸ノ内さん喜寿を祈念

丸ノ内久さん一昭2卒一の「戦

争のない文明」の出版祝賀会が、

七月二十九日梅津良之さんら六

人を発起人としてアキタニュー

グランドホテルて盛大に行われ

た。丸ノ内さんの喜寿の記念も

かねて七〇〇部自費出版したも

のである。

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l覿臥

氏はこれまでも数冊の著書が

あり、秋高百年史の編纂委員長

としてもご尺、力いただいた。

氏はこれを、広く中央各界、

地方自治体首長有志に贈呈し、

広くこ批判ご感想をお願いした

いとのこと。 (文責・桜谷一

師生酒の溝苗に教玲 玲 玲 鑓 玲】各 エ} 竃ト ⇒・玲

玲 玲 玲 玲 玲 0 0 時・.玲

秋嵩義政郷、也ヽ 8 時 玲・+玲・:0

~ 0 時 玲・.玲

秋山前板着より便り

甲子園出場や秋高生が大活躍し

た秋田インタハイ等々がありま

したし、格技場焼失という申し

わけない出来事もありました。

そのとれをと。ましても、同窓

のみなさんの絶大なこ支援のも

とに先生、生徒と一体になって

退職にあたっての種々のセレ

モニーが続きましたが、最近や

っと新しい生活に入りました。

秋高での五年は三十有余年の

教師生活の結晶みたいな感じて、

思い出のすべてがこの五年に集

中しています。赴任以来続いた

校舎改築、二〇周年記念行事、

やった事を思うにつけ、しあわ

せな年しあわせな出会いであっ

たと思わずにいられません。反

面、非才の私のことですがらみ

なさんにこ心配をおかけするこ

とも多かったと反省してますか、

力量豊かな畑沢校長先生が着任

されましたので私の至らぬとこ

ろをどんどんやって下さるもの

と虫のよいことを考えたりして

お。ます。

只今は、紙上、秋高の活字か

見えますと吾が事のように喜ん

だり残念がったりしています。

幸い秋田市内に住んでおります

のて、これから始まる野球を始

め生徒諸君の活躍ぶりを直接拝

見できるのを楽しみにしてお。

ます。退

職以来、先生がたや生徒た

ちそれにこ父兄や同窓会の方々

とお声をかけて下さいまして本

当に有難く存じてますが、今後

ともこ交誼の程よろしくお願い

いたします。

秋高同窓会の一層の御発展を

心から祈念いたします。

天上天下

新しい皮袋には新しい酒を。

一九八五年、昭和六十年という

年は、母校にとって、新しい歴

史の創造の年となろうとしてい

る▼そのひとつは、校舎の全面

改築。総工費十六億円余、校舎

の形式は、従来のカマボコ聖、

タテ棟方式を三百八十度転回し

て、管理棟を中心に、教科別棟

とする新形式▼思、之は、本層の

ナンバーワンスクールとして誕

生し、ことしで百十二年を迎え

た星霜のなかで、母校ほど、移

転に次く移転、そして焼失と校

舎難にあえいた学校は、これま

た県内のナンバーワンであろう

▼それがやっと、校舎改築期成

同盟会の永年の努力と、校友各

層の熱望が実って、県当局を動

かし、東北でも珍しい新形式の

校舎として明年新しい姿をあら

わす。新しい皮袋はできる▼新

しい酒は。畑沢新校長以下教職

員と生徒の新しい波にまつしか

ない。聞くところによれば、新

校長は教室現場の把握を基礎に

新しい校風の創造に動き始めた。

これに対する生徒の呼応も間近

いことと思う▼もうひとつの新

しい酒は。同窓会の活性化組織

てある。歴史はつねに進歩と創

造によってのみ作られてゆく。

停滞と逆行は歴史の進行をとど

めるのみならず、破壊してゆく

▼百十二年の歴史はまさにその

曲り角にきていた。校友の幹部

と、心ある人々の熱意がついに

実って、死せる同窓会をよみが

えらせるための活性化対策が、

紙面に見られるように実現した

▼たが、画を描くのは易しいが、

実行は並々ならぬ努力と困難が

伴うだろう。しかし、はっきり

している事実がひとつだけある。

やらなければ、一世紀余の同窓

会は、ローマの如く滅亡の道を

辿る、ということてある▼歴史

は、時間の産物てはない。進歩

か、停滞か、退歩かの人間の歩

みてある。人はそれを歴史と名

付けてきた。そしてともすれば、

天与のものか、人から与、えられ

るものと錯覚する。私達はどち

らを選択するか。

Page 2: モーPL - akitahs-doso.jpakitahs-doso.jp/dayori/20/dayori_20.pdf · この四月から皆様の母校に着姜竹芝笈仇老肋仇老敬仇蒙肋仇夏蒙芽蒙葬を竹亥老竹肋坊仇仇夏左穿蒙仇仇芽孝者肋肋坊玄切妻仇左仇蒙葬妾宅亥仇老壬委書芸竹玄笈仇孝蒙者笈仇玄切亥芽穿蒙亥笈敬切仇仇星左以宅孝∽肋z笈仏書孝竹肋仏案肋仇亥竹竹肋肋肋仇

栄光の武舎再現

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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中OBと交歓

9月15日に

大正四年、第一回全国優勝野

球大会(現・全国高校野球選手

権大合一で決勝を戦った相手は

京都二中-延長十三回の末、

わがチームは2-1て敗れはし

たものの、栄光、いまに伝わる

一戦てある。両校OBたちの間

て「熱戦を再現してみようじゃ

ないか」という話かにわかに進

み、九月十五日に両校OBの交

流試合が七十年ぶりに行われる

ことになった。場所は母校野球

場を予定している。

交流試合が持ち上がったのは

さる五月十八、十九日、秋田市

八橋球場で行われたパ・リーグ

公式戦てのこと。パ・リーク関係

者と地元側との歓談中、県野球

協会の高橋政泰会長が中川透審

判員に母校秋田中と京都二中戦

を多少自慢げに話した。中川審

判員は、帰ってからこれを審判

の先輩てあり京都二中OBの川

瀬渉氏に伝えた。川瀬氏も交流

試合が実現てきればおもしろい

と、きっそく秋田市を訪れ、母

校野球部OB会・矢留クラブの

和賀政男会長、高橋県野球協会

長と具体的な話を煮詰め、京都

に持ち帰った。そして京都二中

野球部OB会の鳥羽クラブに報

告、双方の合意が成立した。

来秋する鳥羽クラブ員は二十

九人。京都二中は戦後二十三年

に学制改革で姿を消してしまっ

たので、OBで 番若い人でも

五十六、七歳。矢留クラブでも

これに合わせたメンバーで対戦

することになる。また、第一回

大会出場メンバーで健在なのは

秋田中の捕手・渡部純司氏だけ

て、当日は招待する計画。

一仲谷一

母校にゲージ寄贈

矢留クラブは、母校野球部に

バッティングゲージ一基(二十

五万円相当一日写真日を贈った。

野球部のバッティングゲージ

一基が壊われ不自由していると

いうので新調した。費用につい

ては、野球部の大先輩・故伊藤

勝三氏一大正14年卒、慶応で捕

手一の未亡人静恵さんが二年前

の三回忌に際し「甲子園へ行く

ための費用に」と十万円を同ク

場建設に五十万円を寄金、また

ベーブ・ルースのサインを母校

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ラブに寄託していたのに、不足

分を同クラブが負担した。

なお静恵未亡人は、屋内練習

翔は円開削

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に寄贈している。

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年卒

81歳の恩師も参加ビデオで母校の感慨に

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一大正十年卒一でもある先生の元

気さ、その気骨に庄倒された感

があった。

私達の同級生は、同窓会名簿

によれば卒業生二百十一名とあ

るが、現在住所のはっきりして

いるのは僅か九十三名て、長い

戦争を経て、随分多くの級友を

失っており、いささか淋しい思

いがした。

翌二十一日は、尾去沢マイン

ランドの見学を経て、深緑の十

和田湖に遊び、奥入瀬の渓谷に

足を伸ばした。幸い終始天候に

恵まれ、バスの中で一杯機嫌て

歌を唱うものもあり、長い空自

の部分を充分埋めることが出来

た。更

に五年後の五十五周年記念

に全体会を開くことを約し、固

い握手を交わして、同日夕刻秋

田駅前で解散した。

▽出席者 寺口石次郎、境田忠

夫、鈴木正、小熊良筆菅生泰

輔、三川敏夫、湯沢一男、山本

美智雄、川村英一、菅原弘毅、

竹田達郎、井上重三、飯島正七、

細谷一雄、田口勇、堀田井孝三、

菊地哲二郎、出口厳、小川平八

郎、飛田博、阿部武雄、庄司千

年、高橋正雄、鎗目英司、官宅

忠、西方常義、兄上郁二、佐藤

貞治、佐藤康五郎、高橋隆司、

西宮昇、赤平栄三、渡辺卓朗、

田村正、境田稜一、大竹毅、和

井内貞一郎、堀 稔、中野金之

助、笹尾弘、

▽招待者 三川時郎先生及び奥

様     一笹尾 記一

我々は昭和二十年終戦の年に

卒業した。卒業式は、もはや敗

戦の色濃い同年三月、学徒動員

先の川崎市の東芝堀川町工場で

玉木正行校長一第31代一より式

辞をいただき、一人一人名前を

呼ばれ卒業証書を渡された。一

一二周年を迎えるこの秋高の輝

かしい歴史の中で、我々の同期

は最も波乱に満ちた秋中時代を

過したのてはなかったかと思う。

三年のころになって英語は廃

止、体操は軍事教練となり、昭

和十八年には除草、田植等農家

の手伝い、昭和十九年には帝石、

工機部に行って出ない油堀り、

汽車の修理の手伝いをし、昭和

十九年には戦争も末期に近つき、

授業が停止状態となり、お国の

ために五年生と四年生が、県外

の軍事工場に出かけたのである。

秋中五年の我々は、何回となく

戦火を浴びたが全員無事であっ

た。あ

れからもう四十年、停年退

職をした友もいる。

去る六月八日、秋田ビューホ

テルに於て、卒業四十周年祝賀

クラス会を開催した。恩師関喜

四郎先生、鈴木勝三郎先生、田

村甲毅先生、町田与太郎先生、

山下四郎先生に御出席をいただ

き、同級生七十二名が、北は北

海道、南は島根からと全国各地

から、馳せ参じ、盛会であった。

秋田市文化会館長岩城信雄君

の司会で会をはじめ、出席くた

きいました各先生より御祝詞を

いただき、つついて亡なった同

級生に対して、黙蒔、故人の冥

福を祈った。

その後会食となったが、久し

ぶりの顔合わせに話は弾み、あ

っという間に二時間が過きてし

まった。来賓の先生から、「有能

な人材の多い二十年卒よまたま

田田同日劃馳

畢威

卒業五十周年を迎えた昭和十

年卒同級会は、恩師三川時郎先

生ご夫妻を千葉市からお招きし

六月二十日、湯瀬温泉湯瀬ホテ

ルを会場に一泊二日のバス旅行

を兼ねて行われた。

途中バスの中で「秋高創立百

鞄㌦

十周年記念式典」(ABS秋田放

送テレビ一のどテオを見て、母

校の歴史の古きに感慨を深めた。

参加者は四十二名で、県外か

らも十一名の参加があり、中に

は五十年ぶりという人もおって

最初は名前と顔がマッチしない

てとまどう場面もあった。

 

 

 

 

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夜の宴席で三川先生は八十一

歳というこ高齢にもかかわらず、

お顔も若々しく、昔ながらの大

音声て「秋中スピリットを発揮

し、これからの人生を健康で、

社会のため貢献して下さい」と

いう挨拶をされたが、明治生ま

れの恩師でもあり、秋中の先輩

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東京支部の六十年度総会は、

一金谷 勇支部長一七月十六日

一火一午後六時から、池袋、東武

百貨店十一階バンケットホール

で、金谷支部長ほか全員三十八

名、また本部から、新校長畑沢

潤二副会長大島民治、広報委

員長沢石謙、事務局桜谷吾朗の

四氏、さらに秋田魁新報東京支

社編集部長遠藤欽一、秋田から

上京中の高根五郎の二氏らが参

会して定刻過ぎ開会。

まず金谷支部長から、会務報

告、予算、決算の承認があった

のち、会員名簿の登録者八百名

に案内状を発送したが、回答者

は三百名、うち出席者は三十八

名との総会出欠席状況が報告さ

れ、今後とも出席会員の皆様か

ら、同期のものを誘いあわせて

より盛大な会となるよう、こ尽

力ご協力をお願いしたい、との

挨拶があった。

金谷支部長の紹介によって、

本部から参会した四氏がそれぞ

れ挨拶に立ち、まず畑沢新校長

ま、

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「老朽化していた校舎は、本年

度を期して、総工費十六億数千

万円で全面改築工事に入り、明

年末には完工する。これを機会

に教職員、生徒は一体となって

新校風の樹立に邁進したい。ま

た学業、運動ともに順当な成果

をあげており、同窓会各位の一

層のご後援をお願いしたいP

また、大島副会長は、

「歴史の長期化と五百人制の新

制高校制度の卒業生化に伴ない

同窓会の組織がしだいに風化弱

体化してゆく傾向にあるのてこ

れに歯止めをかけ、かつ組織を

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だ奮起せよ」との励ましの言葉

もあり、一同新たな決意をもっ

た。次はまた近いうちにこの会

をもとうではないかとの提案が

あり、各人満足感にあふれて、

それぞれ二次会へと散って行っ

た。   一湊貞造記一

ジョーク交え

た自己紹介も

昭和矢留会

昭和矢留会支部総会は、八月

二日午後六時半から料亭「湖月」

で、全員二十四名の出席して開

催された。

菅原支部長より、開会あいさ

つ、来賓として出席された、京

野副会長、大網教頭、桜谷事務

局長より、それぞれの立場から

あいさつが有り、全員一同、同

窓会員としての意を強く感じと

った次第。

幹事長、会計幹事から経過報

告等の説明が有り、引きつつき

役員改選に入り満場一致で留任

と決定し、総会を終えた。

信田副支部長のあいさつ、斎

藤副支部長の力強い乾杯の音頭

で懇親会に入った。

ジョークを交えた自己紹介が

有り、先輩、後輩共に飲むほど

に、酔うほどに輿が乗り、時の

経つのも忘れ親睦を深めた後、

最後に校歌、応援歌の大合唱と

なり、今後の健闘を祈って、万

歳三唱、盛会裡に終了した。

一記幹事長菅原一

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常に活動的状態におくため、同

窓会組織活性化対策委員会を設

置して鋭意検討の結果、四常置

委員会を設置して、会の活性化

と通年活動に乗り出すP

また沢石広報委員長からは、

「同窓会だよりは、学校、生徒

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回を基本として、充実した内容

を皆様にお届けしたいP

最後に桜谷事務局員から、同

窓会全般にわたる動静が報告さ

れた。懇親会は、応援にかけつけた

秋田民謡の「輿はい一島社中」

一鹿角市八幡平出身〓ハ名によ

る懐しい秋田民謡の数々が披露

され、会員の中から飛び入りの

賑やかなふんい気のうちに、九

時すき、秋田高校と同窓会の万

歳、校歌を斉唱して閉会した。

なお金谷支部長によれは、本

年度は会員名簿の更新年てある

ので、全会員に往復はがきて名

簿作成問い合わせを発し、それ

によって新名簿を年内に作成す

るという。

また会費の五十九年度納入者

は大賢和一一大正10一氏の三万

円を筆頭に二百二十六名にのほ

っており、六十年度会費も相次

いで納入されている。当日初出

席として、若い根っ子の会会長、

加藤日出男氏も出席し、今後の

協力方を約していた。

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新屋地区に同窓会

秋田市新屋地区(豊岩、浜田を含む)に「同窓会」が誕生する。四月二十日

に開かれた同地区の「旧秋中・秋高同窓生の集い」で決まったものである。一

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新屋地区からは毎年多数の同

窓生を出しているが、地域に同

窓全組織がなく、高校卒業後は、

先輩、後輩はもちろん、同期生

同士の交歓も途絶えがち。そこ

で一部有志から現役時代に活動

の拠点となった「松嶋会」の復

活を望む声が上がり、取りあえ

ず「集い」の開催となった。

日吉会館て開かれた「集い」

には、百十人余りが出席。校歌

斉唱、発起人を代表して最年長

尋 -

新入生を励ます

篭酎八郎潟、井川からも出席

ロビーの超大型テレビに写し盲された朝汐対若島津の壷に

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五城目支部総会は始まった。

会場のガーテン松竹は、的年

十一月オープンしたばかりの清

酒な宴会場である。

場内は、大正十年卒の今村支

部長をはじめとして、同窓会事

務局から道田、桜谷両氏も出席

され、又、八郎潟支部や井川支

部からも同志が駆け付け一段と

盛り上がる。折りも折、この四

。六十年三月二十四日秋高同窓会

月から秋高生となる合格者諸君

を激励しようと招待した学生十

四名も入甥彼らに記念品を贈

呈して校歌を斉唱する。

「三番まで′」の声がかかり、

途中少々覚束なくも「豊かに健

児はその道進むーPと堂々の締

め括りに「フレー′フレー′」

とエールも飛び出す。

懇親の会となり、話もはずみ

盃を重ねるにつれ皆いきいきと

した様子。日程の都合で出席出

来なかった同志を情みつつも宴

は佳境に入る。いつしかおひら

きとなり、カゼ気味の私は後髪

を引かれつつ帰宅と相なったが、

ほとんどの面々は旧交を暖める

べく次のコースへ向かった模様。

会場を出て行く時のそれぞれの

満足そうな顔が印象的であった。

一鍋谷 記一

の深井博三氏一S8年卒一があ

いさつ。経過報告の後、①これ

を機会に同窓全組織にし、定期

的に会合を開く、②新屋、浜輿

豊岩地区から通学した同窓生は

かりでなく卒業後この地区に居

住する同窓生やこの地域の職場

に勤務するOBをも含む……こ

とを決め、梓細は発起人に一任

することになった。

続いて来賓あいさつに立った

京野大三同窓会本部副会長が本

部事務局の桜谷吾朗氏を紹介、

母校の大網定義教頭が近況報告

した。このあと懇談に移ったが、乾

杯の音頭をとった野球部OBの

辻永剛一氏一S11年季一は、「野球

でも新屋地区からは優秀な選手

を出している。昭和六年から連

続四年甲子園出場した黄金時代

の主力、梅崎投手、三浦捕手も新

屋だった。地域に住む秋中一秋

高一卒業生が真の意味て親睦を

深めるため同窓会活動するのは

極めて結構なこと。おおいにや

ろう」と徴を飛はしたのて会は

盛り上がった。

初めての会合で当初はやや硬

かった会場内もほどなく幾通り

も懇談の輪ができ、にぎやかな

笑い声に包まれた。アルコール

が十分に回った後半には、先輩、

後輩が入り乱れてマイクの前に

立ち、応援歌などをうたいまく

る始末。

午後八時過ぎ、石沢久英氏(S

13年季一の音頭による万歳三唱

て再会を約して散会した。

なお、事務局ては、今回の会

合に合わせ、約三百人の名簿を

作成したが、洩れた同窓生にお

気付きの際は、新屋元町13の輿

中野源一一TEL二八-〇二九

五一あて連絡してほしいといっ 博之(S8年卒一、中野源一一S

ている。        20年季一、秋山まり子一S29年

発起人代表は次のとおり。 卒一、三浦捷也一S35年幸一、松

川口弥之助(T12年卒一、探井 本太郎一S43年季一

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昭和六十年五月十八日、協働

社ビルに於て、私たち昭和三十

五年卒業の同期生は、畑沢新校

長を始めとして十五名の恩師を

迎え、六十余名が参集、卒業二

十五周年を記念して盛大にお祝

いの会を開催した。

卒業して二十五周年と言えば、

働き盛りの四十代前半、それぞ

れに社会的地位を占めて頼もし

い顔ぶれであった。

恩師を囲んでの昔の思い出は

尽きることなく、校歌を斉唱、

再会を約して別れを惜しみなか

ら散解した。

ご出席の恩師は次の通り。

畑沢、渡部一修)、橋本、大島、

中山、菅原、加藤、吉井、最上、

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会場でビデオ流す

62期会ブラウン管で対面も

六十二期会昭和五十九年度総

会(昭和二十三・二十四年卒)は、

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昭和六十年三月二日輿ニュー

たけやて開かれた。

例年だと夏もしくは気候の良

い時期に開催しているわが六十

二期会も、どういうわけか弥生

三月にずれこみ、全員諸侯から

は時期が悪い一特に学校の先生

から一と叱責を浴びました。し

かしそれにもかかわらず、遠く

大阪、東京からも含め四十四名

が参加、また八十名の同期生の

それぞれの持ち味の出ているコ

メント及び東京支部のビテオ一

昨年東京及び近郊の六十二期会

の状況一の賛助参加。さらに学

校関係からは同窓会京野副会長、

榊田教頭先生、桜谷同窓会事務

局長のご臨席をいただき賑々し

く開催することが出来た。

総会では、①秋中六十二期会

会則改正一昭和四十六年制定一

②代表世話人の交代及び世話人

の新規選出、③年会費納入の件、

④同期会事務所の変更……につ

いて協議、次のように決定した。

① 代表世話人には笹原秀雄、

太田平八郎、伊藤鉄也の三氏。

世話人には石黒兵四郎、広

島吾朗、渡部忠夫、井川一夫、

本田和則、原田亮吉、志渡和

夫、安田庄一、佐野謙二郎の

九氏。

② 年会費は弐千円。

③ 事務所は太田税務会計事務

所一太田平八郎君の事務所一に

置くことにした。

つついて楽しみである懇親会

に入ったが会場に特設したテレ

ビで東京支部のヒテオを流し、

飲みながら見、歓談しながら見、

懐しい顔、髪の毛の草色を見

ては吾と比較し、それぞれ感慨

にひたり、ブラウン管越しの対

面も乙なものだと話しながら旧

交を暖め、恒例の大合唱となっ

た。

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転勤者の激励を兼ね

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東京27期会、気勢あげる

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東京27期会が、秋田から着任

した安彦一秋銀一、秋田へ帰任す

る岩井(秋相銀一、静岡へ転任す

る金沢一同和金属工業一の三君の

激励を兼ねて、六月二十二日六

本木の「ダンケシェーン」に総

勢二十一名か参加し行われた。

常連あり、初参加ありで盃を重

ねる度毎にボルテージが上がり

各自の近況報告をする頃は貴高

潮に達した。

秋田27期会に出席した金沢君

から報告があり、来年は出来る

だけ参加しょうと話合った。

最後に往年の名ラカーで応援

団長の館山君の音頭で校歌を高

らかに六本木の夜に響かせ、再

会を約して散会した。

▽参加者名 中江川(富士銀行一

星野一三菱石油一、安彦、鈴木重

晴一麻生台ビル一、館山一日本郵

船一、寺山一学研一、畠山一日本楽

器一、金沢、米沢(インターナシ

ョナル・パブリシティ一、佐々木

(CGCジャパン一、二木一サマ

ール一、伊藤隆幸一東芝一、佐藤

雄三(森田鉄工所一、岩井、加藤

明男一日石一、三浦智徳一日大一、

長谷部(画商)、越中屋一ヤドメ・

エンタープライズ一、夏井一安田

ローンサービス一、高橋一弁護士

三十年ぶり

の顔ぶれも

27期会総会

二十七年率一秋高四期生一の

六十年度総会は六月十五日、秋

田市ビューホテルで開かれた。

今年の幹事は魁、ABS秋田放

送のいわゆるマスコミ組。

恩師の吉井忠亮、鈴木勝三郎、

中山健、加藤仁美、山谷浩二、大

嶋俊平の六先生が元気な姿を見

せたほか、会里ハ十七人が出席。

辻代表幹事のあいさつのあと、

成田実君の司会で全は進められ、

恩師の鈴木先生が近況報告の後、

「身体が動く限り、この会に必

らず出席したい」とのあいさつ

に大喝さい。東京の同和鉱業本

社から浜松市にある子会社の常

務に栄転した金沢敏光君の転勤

のあいさつを兼ねた乾杯の音頭

で懇談に入った。

今年の特徴は、卒業三十年余

りたって初めて出席した大場秀

君、小畑次郎君など久し振り組

が多かったこと。当初はやや固

さか見えたが時間の経過すると

ともにすっかりはくれ、三十数

年前に戻ったつもりで校歌や応

援歌に調子を合わせていた。来

年の幹事は秋田相互銀行の諸氏。

今回は京野先輩の音頭ての校

歌にはじまり、次々に出る応援

歌を全員スクラムを組みながら

歌い、若き頃、また参加出来な

かった同期生に思いをはせ、大

満足し、またの令っ日を約束し

て終了した。

一伊藤鉄也 記一

大曲支部は

25人で総会

六十年度大曲支部総会は、六

月二十二日午後二時から大曲市

「対川閣」で開かれた。

母校から畑沢校長先生、同窓

会本部から大島副会長、桜谷先

生の出席をいただき盛会だった。

▽出席会員は次のとおり。

牛込善正一S5一、鈴木良助

(S7一、加藤芳男(S10一、大松

正一一S16一、三村一雄一S誓、

田口圭太一S誓、藤田紀一一S

曇、小原繁一S空、下山彰一

郎一S27一、佐藤公昭一S空、下

山維敏一S聖、千葉一男(S竺

斎藤正俊一S空、宮原拓也一S

里、伊藤圭右ヱ門一S聖、佐

々木岩男一S聖、茂木晃一S竪

中村和春一S聖、佐藤祐悦一S

聖、佐藤元一一S禦、辻久男

一S望、芳賀雅男(S至、住谷

一男一S至、小山田薙一S翌、

石河友之一S聖。

i

l

畑沢校長の

就任を祝う

80期、有志会

去る五月四日田午後五時より

秋田キャノスルホテルにおいて

開催した。四月より秋田高校校

長の要職につかれた畑沢校長先

生のこ就任祝いと、こ両親の法

事の為、久方振りに来秋した高

堂光雄君一鹿渡出身、ホクシン

ク部、現在、相武製作所杜長一の

激励会を兼ねた集りとなった。

出席者の顔、ふれはホクシンク

部OBを主体とした、高堂君の

旧友、悪友連中十一名であり、

飲むほどに、酔うほどに、当時

の失敗談、武勇伝に話の花が咲

き、九時過ぎ閉会となりそれぞ

れ二次会に散って行った。

Page 4: モーPL - akitahs-doso.jpakitahs-doso.jp/dayori/20/dayori_20.pdf · この四月から皆様の母校に着姜竹芝笈仇老肋仇老敬仇蒙肋仇夏蒙芽蒙葬を竹亥老竹肋坊仇仇夏左穿蒙仇仇芽孝者肋肋坊玄切妻仇左仇蒙葬妾宅亥仇老壬委書芸竹玄笈仇孝蒙者笈仇玄切亥芽穿蒙亥笈敬切仇仇星左以宅孝∽肋z笈仏書孝竹肋仏案肋仇亥竹竹肋肋肋仇

4

第 20 号                    秋高同窓会だよ り             昭和60年8月15日

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「同窓会の活性化」について検

討を加えていた組織検討委員合

一杉渕一雄委員長)は、このほ

ど名簿、広報、財政、企画の四

常置委員会の設置を柱とした答

申案を作成、幹事・常任委合同

会議で承認されたので、八月の

同窓会総会に報告ののち具体的

活動に入る。

組織検討委は、昨年十一月五

日の第一回会合以来、六回にわ

たり会議を開いた結果、旧制中

学から新制高校への制度上の変

革の影響を受けて、卒業生の母

校意識の希薄化、価値観の多様

化を招き、同窓会活動の弱体化答申を決めた最・終副会長・組織検討委合同役員会

しているのが現状。

しかも今後、このまま放置す

れば、弱体化が進行して各種事

業の遂行に相当の困難が予想さ

れる。従って、基本対策として

①年次別の機能強化、②支部組

織の強化、③財政の強化、④広

報(同窓会だよりを含む一の強

化が必要であり、これを実行す

るための常置委員会を設置し、

担当副会長の下に委員長、副委

員長、委月を配置し、常時活動

に入るというものである。

(四常置委員会

の構成)

【企画委員会】

担当副会長・大島民治(S8一

委員長・杉渕一雄(S7一

副委月長・太田寿男一S竺

委員・伊藤守一(S空秋山ま

り子(S讐畠山樹之一S讐

鎌田寿、(学)斎藤広孝一S讐

(学一伊東俊穂(S空

【財政委員会】

担当副会長・辻兵書(S誓

委員長・小国敬二郎一S9一

副委員長・村上十郎(S空

委員・藤田幸雄一S讐佐藤照

(S聖高橋智徳(S竺速水洋

子一S讐安藤二S50〓学一大

島三代助一S讐近藤繁(S讐

【名簿委員会】

担当副会長・京野大三(S誓

委員長・菊地茂(S空

副委員長・広島吾朗(S讐

委員・若狭良二S讐今田猛

(S聖工藤雄二S讐佐藤悦

照(S竺五十嵐和子一S讐

(学一佐藤正(S竺(学)石塚功

S

2

7

【広報委員会】

担当副会長・金子恭三一丁誓

委員長・沢石謙(S誓

副委員長・信太聡一一S27一

副委員長・辻悌五郎(S27一

委員・長野佳司一S讐山寺憤

子一S讐小林律子(S讐石

井仁(S竺一学一田口能祐一S

墾(学一松岡正樹(S竺

肖 ◎共通学校側委月として、

大綱教頭、清水教頭、宮原事

務長、桜谷事務局員

(以上)

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同窓会の活性化答申に基づい

て設置された「企画」「財政」「名

簿」「広報」の四常置委員会の初

合同全体会議は、六月十九日、午

後五時半から秋田市平安閣会議

室て、四副会長以下各常置正副

委員長並びに各委員、また学校

側からは、三月末の定期異動で

着任をみた新校長畑沢潤一氏、

清水、大綱の二新教頭、宮原新事

務長などが出席して開催されな

まず金子副会長のあいさつに

次いで、新任の畑沢校長から、

着任の抱負と新校舎全面改築等

のあいさつがあって議事を進行。

桜谷事務局月から、今般実行

段階に入ることになった「活性

化答申」によって設置された四

常置委員会の趣旨と委員の紹介

が行われたのち、各委員会毎に

別室に別れて三十分余の協議が

行われた。

その後再び全体会議室に戻っ

て、各委員長から、委員会のか

かえている問題や現状認識、お

よび今後の活動方向などについ

て報告があって、これに対する

質疑応答が活発に行われ、今後

の活動を誓いあって会を閉じ、

懇親に移った。

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▼年次別機能強化対策について

固窓会の活性化は、即各年次

の活性化を図ることであるとの

基本方針で一致し、強化策につ

いて検討の結果、次の事項につ

いて実施する必要がある。

① 百十周年記念事業で実施し

た名簿作製の経過と、結果の

②反省を踏まえて、新しい出発

点に立って、各年次の名簿を

作製することが、最大要件で

ある。作成に当たっては、各

年次の自主性を尊重すること

を基本方針として、整備充実

することが望ましい。

本部に「名簿委員会」を常

置し、常に各年次との情報交

換および援助、指導を行って、

全体名簿の作成に着手する必

要がある。

▼支部組織の強化活用対策につ

いて

従来とかく支部との連絡を欠

くきらいがあったので、次の事

項を実施し、支部組織を強化、

活用する必要がある。

① 県内、外をふくめ、支部の

数をふやす

方向で検討

するととも

薯に、組織上の位置付けを明確

にする。

②少なくとも年一回は、支部

長会議を開催し、情報交換と

親睦を図る。支部長は本部役

員とする。

③周年記念行事及び特筆すべ

き記念事業の計画、立案に当

たっては、当初の段階から支

部長を参画させる。

▼財政の強化対策について

同窓会の活性化対策には、活

動の原動力となる財政の強化を

図ることが必須条件であり、そ

のためには下記事項について検

討実現を期することが望ましい

 

① 新入会貝の入会金を増額一

倍額程度一し、収入を強化す

る。一〇〇円1二〇〇円

② 基本的対策としては、年次

別会費徴収について検討し、

これを遵礎収入の重要な財源

とする必要がある。ただし当

面の目標としては、役員会費

の納入の促進を図る。

③ 本部に「財政委員会」を常

置し、財政全般について検討

する。

▼常置委員会の設置について

下記の委員会を常置し、本答

申の具体化を推進する。なお周

年行事などに際しても機能しう

る体制とすべ

きである。委

員会の機能に

ついては、別に定める。

④③②(彰

企財広名画政報簿

委員会

委委委

員会

員会

員会

▼その他の書項について

規約の検討と並行して、特

に役員の選出方法、役割など

についても、検討を要する。

また、役員会の開催などにつ

いても、効率的な運営が望ま

しい。

② 「同窓会だより」は少なくと

も年二回発行し、その配布の

方法、財源については、常置

の委員会に一任する。

③ 同窓会館の建設、奨学基金

の設立などについては将来計

画として考える。

④ 名簿などの管理のため「機

器の導入」についても、その

実現を図るべきである。

⑤ 同窓会に関する諸資料の整

備、保管について考慮する必

要がある。

(以 上一

会旗の披露も大館支部総会

春末だ浅

き二月二十

一日、市内

幸町「北秋

クラブ」に

三十六名の

会員が参集

し、大館支

部総会が開

催された。

加藤清幹事

(S40卒一の

司会にて始

まり、伊藤

碩彦幹事一

S35卒)の

開会のことば、

布袋屋伊作支部

長(S20卒)の挨拶に続き、長年

支部長の任に当たられた奥山宏

国国

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常置委員会の初合同会議

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百景軟式庭球連盟より受賞一

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5

前会長一S15孝一より、会旗の贈

呈並びに披露が行われました。

ii

四百五十五人

が同窓会入り

本田氏が激励

六十年度同窓会入会式は、三

月七日の母校の卒業式に引き続

き行われた。

ことしの新入全員は男子三百

四十八人、女子百七人の合計四

百五十五人。

入会式は成田実氏一S27卒一の

司会で進められ、大島民治副会

長(S8卒)のあいさつのあと本

田和則氏(S23卒一が激励の言葉

を述べた。同窓会では男子新入

会員に記章入りのループタイ、

女子には記章入りのペンダント

を記念品として贈った。

㈲ヤマキウ商店

会長小

玉孝次郎

(T7卒)

 

長小玉康延

(S31卒)

〒…秋田市南通亀の町六-四七

TEL 自宅㈲〇三七七

羽 後 銀 行

頭 取

塩田雄次

(S5卒)

秋田市中通三丁目一ノ四一

TEL 〇六八個四二一一

第一建設株式会社

代表取締役安倍輿(S5卒)

専務取締役安倍勇本社 秋田市濁川字菅場4

℡(0188)32-6288㈹

秋田商工会議所会頭

校 本 修 二(S6卒)

秋田市土崎港中央一丁目16-20T E L 45-1827

大島民治

(S8卒)

秋田市保戸野原の町ニー三四

TELO一八八-二三-二六五九

政府登録国際観光旅館

栄  太  楼

代表取締役社長

小国敬二郎(S9卒)

秋田市千秋矢留町6-15T E L 33-4151-5

神 田 医 院稲見産婦人科医院

誌師見彗sl各神田。S悪幣保宗拙警呂号 設軍票月濫凱莞豊

(株)第一会館

取締役社長

信 太  勝(S16卒)

秋田市大町五丁目4-28TEL O188(64)1166

外科・内科       歯 科

秋元医院   中 村 医 院

秋 元 辰 二 中 村  正(S17卒)       (S17卒)

結土器鵠丁諾 秋等留男㌢孟㌻6

㈱越中谷写真商会

越中谷正美(S29卒)

越中谷孝一(S58卒)

秋田市土崎港中央6-5-7TEL(0188)45-1573

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5) 昭和60年8月15日             秋高同窓会だよ り                    第 20 号

…;i早 早 早 早 与 み.一斗

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いといわれないようにしたい。

ほ重点的に強他 なければならない。

-玄関に入るまでは、意外と か。

〃授業の雰囲気壊す″

〃中身づくりが課題″ 分良くなってきたと思う。

▽就任早々、校舎改築という 〃キメの細い指導を〃

-改築の方は、教委の方てやているようだが。   〃士気の盛り上げに″

〃小さなおとな″に

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なるべく学校内に

うにしたい。

若いころ剣道で鍛えたが、今      一文責・信太一

 

 

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母校では今年から教頭二人制

となり、新たに大綱定義、清水

垂孝の両氏が赴任した。

大綱教頭は千葉県出身、旧秋

田南高校時代の二十六年から四

十年まで国語科担当として母校

に勤務した。その後、秋田北高

から男鹿高、仁賀保高と回り五

十九年秋田西高教頭そして今春

本校赴任となった。畑沢校長と

は二十六年の駅前校舎時代に母

校で同職し、さらに仁賀保高時

代を含め、今回で三度目の縁と

なった。

清水教頭は母校の二十五年卒

業生。国語科担当として三十四

年から十二年間母校にも勤務し

た。その後、秋田南高から西仙

北高、そして五十九年からは大

曲農定時制課程の教頭を務めた。

母校に勤務した当時は、駅前校

舎から現校舎への引越しが懐し

く思い出されるという。

また、事務長にも新しく県教

委から宮原茂氏か赴任した。富

原事務長は、当面の課題は、校

舎改築と六十二年度に予定され

ている全回国公立高校事務職員

研究大会の開催にあるという。

秋田県県会議員

秋田高校同窓会

男鹿支部長

加藤義孝

(S16卒)

哀  悼

(判明文)

中川 兼成一S讐於東京甲1

山口 通一一T7一於秋田甲

竹谷徳之助一T6一於秋田甲2

井川 健市一S誓於秋田甲7

宮腰清三郎一T10一於枚方響12

宮腰 斌〓T竺於能代響12

三浦司郎一S5一於四街道甲12

二田

柿森沢

関山本

笠井

小田嶋

青山

千田

鉢村

田宮

亮一S誓於天王甲1

一之一S竺於東京甲1

正勝一S7一於能代甲1

俊男一S2一於東京甲1

九郎一丁誓於鹿角甲1

重光一丁誓於東京甲1

一郎一S7一於埼玉甲1

伍一S竺於仙北甲1

達彦一S空於秋田甲1

要一旧職一於栃木甲1

喜蔵一T8一於東京甲2

佐藤亮太郎一T5一於横手甲2

田名部昇一S禦疋一於秋田甲3

南浦 義郎一S11一於秋田甲3

池田 広志一S竺於山本甲4

伊東 糾一S竺於明石甲4

奈良 晋蔵一丁曇於秋田甲1

平川 民治一丁誓於能代甲4

田中節太郎一T2一於秋田甲4

高橋 敏一一S誓於秋田甲4

加藤 恭蔵一S3一於秋田甲5

岡 正真S5一於琴丘甲5

渡連龍太郎一S空於秋田甲5

中村 徳治一丁誓於秋田甲5

田口憤次郎一S2一於鎌倉甲5

小川 平太一S5一於山形甲5

大嶋 生二一丁誓於秋田甲6

伊藤 義雄一T9一於秋田甲6

鈴木 亀雄一S2一於秋田甲6

小笠原俊二郎一丁誓

於西仙北甲7

村古伊山木藤

勇一一S7一於東京甲7

隆蔵一丁誓於東京甲7

謙三一S望於秋田甲3

男鹿市脇本脇本字

電話〇一八五25二中

七野_」▼_ ‾‾一一.

′ヽ-

八一

秋田県議会議員

植 田 正 夫(S19卒)

〒010-16秋田市新屋几町12-17TEL O188(28)2008

株式会社 辻兵

取締役社長

辻  兵書

(S19卒)

秋田市大町二丁目三一二七

TEL 六三一一二三四

くるまとくらしを結ぶ

秋田トヨタ自動車株式会社

代表取締役

北日本コンピュータサービス㈱   湊小児科医院   佐野薬品株式会社

取締役社長

佐野謙一郎 村 上 十 郎(S20卒)       (S19卒)

秋田市卸町 3 - 7     秋田市中通6丁目13番5ぢTEL O188(62)6644       電話 0188(33)1809

代表取締役杜長

江 畑 基一 湊  貞 造(S25卒)       (S20⑤卒)

秋同市南適築地15-32     秋田市中適5丁目7の34T E L O188(34)1811㈹)       ℡(0188)34-5621

秋田県議会議員

秋高同窓会常任理事

高橋昌一

(S21卒)

黄金井酒造㈱

秋田市新屋町

酸素・アセチレン・炭酸・窒素・アルゴン・フロン・その他特殊高圧力ス販売・溶接・溶断機材販売限定通運業・倉庫業・不動産業・電話取引業

㊥金子物産合名会社代表社員金子恭三(T12卒)

本 社 秋田市土崎港中央一丁目16-40 ℡(45)0105能代営業所 能代市溝助町 6-34 ℡(54)8056

和光薬品

株式会社

取締役会長

高橋鎌

取締役社長

治郎

(T15卒)

ヽ′l」

泉憲男

(S21卒)

締役副社長

下山彰一郎

(S27卒)

専務取締役

義夫

(S31卒)

電話二間∵三一四一一(代)

医療法人 久幸会

内科・精神科 今 村 病 院

院長 今 村 久 悦(S9卒)

秋田市追分三叉路中野四区バス停前TEL(73)3011

Page 6: モーPL - akitahs-doso.jpakitahs-doso.jp/dayori/20/dayori_20.pdf · この四月から皆様の母校に着姜竹芝笈仇老肋仇老敬仇蒙肋仇夏蒙芽蒙葬を竹亥老竹肋坊仇仇夏左穿蒙仇仇芽孝者肋肋坊玄切妻仇左仇蒙葬妾宅亥仇老壬委書芸竹玄笈仇孝蒙者笈仇玄切亥芽穿蒙亥笈敬切仇仇星左以宅孝∽肋z笈仏書孝竹肋仏案肋仇亥竹竹肋肋肋仇

(6)第 20 号                    秋高 同窓会だよ り             昭和60年8月15日

(女

文武両道は、本校の伝統であ

り、基本姿勢でもある。それ故、

野球は常に甲子園を要求され、

各運動部は全県制覇を求められ

る。進学においても県内随一な

ることはいうまでもなく、全国的

にも有名進学校と常に比較され、

その優劣を問われるのである。

そのため、学校のあり方も予

備校並みに受験体制を固め、大

学入試の激戦に対応すべきか、

はたまた、本校の伝統的校風を

継承し、自由・自由

母校紹介=文武両道ニ自律の精神を踏ま

、え、合唱コンクー

ル、学級対抗、秋

高察、太平登山等

多くの学校行事を

計画・運営させ再

び来ることのない

青春を謳歌させる

べきか、大いに頭

を悩ませているわ

けてある。

ここて今春の進学状況を簡単

に記してみたい。

東大等最難関校で

現役完敗す

=東北大で善戦=

全体的に合格率微増

今春の卒業生は四五五名てあ

り、進学志望者は四三五名てあ

った。そのうち合格者は延人数

で二五二名、実人数では二一六

名となり、合格率は丁度五〇%

と昨年よりわずか二・四%の伸

びに止まった。

昨年より微増したというもの

の共通一次始まって以来整同て

あった58年度六〇・八%には遠

く及ばず、昨年同様いささか悔

いの残る進学状況であった。

現役の合格者を大学別にみる

と国立大では、秋田大八五名一昨

年八一名一、東北大二六名一二二

名一、北海道大七名一五名一、筑波

大七名(一名一などで幾分増加し

たが、東大、京大、東工大、一

橋大などの最難関校では志願者

そのものが大幅に減少したこと

もあったが、結果的には完敗し

た。これは、本校における上位

者層が例年に比べ薄かったのも

事実であるが、全般的に〝安全

志向〟の傾向が強く表われ、ラ

ンクを一段下げて出願したこと

が大きな原因といえる。

何はともあれ、〝青年よ、大

志を抱け〟の精神を大いに鼓舞

したいものてある。

(表り学校別合格者数()内は現役の人数

校 名  人 数   校 名  人 数

1仙台二高115(47)6 山 形 東 43(26)

2 仙台一高102(30)7 水戸一高 41(つ

3 福  島 61(36)8 宇 都 宮 33(?)

4 盛岡一高 55(32)9 宮城一女 31(19)

5 秋  田 48(26)10 磐城(福針 27(?)

私立大上位校健闘

一方、私立大学では、志願者

が大幅な減少を示し、昨年比、延

人数で一四〇名減の三三七名と

なったのが大きな特徴である。

これは年々難化している私立

大を敬遠したことや、共通一次

の時期の繰り下げなどで、国立

大に的をしほったものが多かっ

たものと思われる。

今春の私立大の現役合格状況

は、早稲田大八名一昨年五名一・

慶応大五名一五名一・上智大三名

一二名一・学習院大二名一〇名一・

明治大九名一二名一・中央大七名

一五名一・青山学院大五名一二名一

と浪人優位の上位クラス大学て

は比較的健闘したが、受験者が

二〇名を越えている法政大二名

一二名一・日本大一名一一名一・東

京理科大二名(一名一など昨年に

引き続き中堅クラス大学の不振

が目立ち、私立大学に関しては、

今年も挽回できずに終った。

このような厳しい現実に対し、

学校側としても、今までの王と

して国立大向けのカリキュラム

から、私立大コースのカリキュ

ラムをも設け、来年度から実施

するなどその対応を急いている。

※注・()内は咋年の数てある

(表2)昭和60年3月卒業生の大学受験・合格・進学状況

数進学者

這5肯。3

(155)

4

 

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延合格者数延受験者数

 

 

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5  1  33      3

学 学 学

大 大 大

立 立 立

旦公私

学 学

大 大

外 期

管 短

1  2

7 02

(212計

H..・芋∵...い..㌫・∵.∴、王

H

“H H い  HH

.rい     l”

碩昨年-59インタ

ーハィ秋田大会に

おいて、団体六種

目・個人二種目計

三十六名の選手団

を送り、県民の期

待に応えた秋高運

動部の今年の総合

体育大会の戦績は

どうか。昨年優勝旗をもたらし

大活躍したポート一東北優勝、

全国準優勝一・弓道一全国ベス

ト墜東北優勝一は残念ながら

連覇の夢ならなかったが、剣道

が宿敵秋田南を破り、九年ぶり

全県を制覇したのに続いて個人

ながら卓球がダブルスー畠山・

斎藤組が優勝、ポートのシンク

ルスカルの桃崎、レスリンクの

渡辺一全国三位一も優勝、石川

インターハイの出場権を獲得す

れば、水泳も青木一正一が百米

バタフライで、県新・県高校新

の大記録を樹立したのをはじめ

として、二年生の清水が自由型

一百、二百米を制して、二年連

続団体準優勝の原動力とな。、

ただ一人の女子楢岡由樹も自由

型一四百、八百米に優勝、万丈

の気を吐いた。

卦東北をも制覇す

欄 全巣に続いて二十年ぶり

全県総合体育大会で、九年ぶ

りに優勝を果たした剣道部はそ

の後六月下旬に行われた東北大

笠響

勝率

㌍強

豪 謁憬曝搬騒窯

・、ナ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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闇親閲

腔粧し

摸せ・

ヽ鷲

国体出場の山崎主将

■電

々す鞍ノ

ー同相爛墟

.,ヽ・、

会で、実力を遺憾なく発揮し、

二十年、ふりて見事に優勝、古豪

復活を示した。なおこの二大大

会制覇の原動力となった主将の

山崎は七月の県民体育大全ても

優勝して国体選手になった。

全県総体-決勝リーグ

秋田4-1秋田商

秋田3-2経法人付

秋田2-3秋田南

この結果、総本数により

優勝-秋田一九年ぶり一

東北選手権大会

▽準決勝

秋H3-1八戸

▽決 勝

秋田4-0三戸

顧問コメント「東北優勝は私

ども以来のこと。主将の山崎が

よくやってくれている。昨年の

インターハイでベスト8に入っ

ているのて、是非ベスト4に進

出したい。渡辺明」

の渡辺拓哉

柚遂に全児を

ル     刺す

全県総体一昨年準優勝一

75キロ級 優勝 渡辺

一インターハイ出場一

東北大会

75キロ級 準優勝 渡辺

恥ダブルス優勝

埠団体は成らず

▽団体戦 決勝

秋田0!3秋田商

▽個人戦

タブルス決勝

錮削㈱2-。㈱諦

シンクルス決勝

斎藤0-2小泉

一秋里 一秋田商一

この結果タブルス・シンクル

スともインター∴イ出甥

先輩随想

『校歌異聞』

佐藤 照一S31卒一

些か旧聞に属するが、滋賀県

立堅田高校が念願叶ふて京滋代

表として、今春の甲子園に初出

場を果したは御同慶の至りだが、

選抜大全出場が仇となって同校

の顔とも言ふ可き校歌が、固有

名詞や二二の字句を差し替え

ただけで岡山県私立輿譲館高校

校歌と全く同一であることが露

見して、関係者一同言ひようの

無いショソクを受けてゐる、と

四月二日の京都新聞が報じたと

の事である。

岡山輿譲館は幕末華水六年創

立の名門、片や堅田は昭和二十

三年開校にして校歌の作詞者な

る故人某教諭が輿譲館中学昭和

十六年の卒業生である処から、

因果はほぼ明瞭であるが、今に

して校歌を改めるとしても、学

校創立以来四十年近く歌ひ継い

で来た同窓生の感慨如何ばかり

ならむと察するに余りある。

此処で吾々にとって嫌な思ひ

となるのは、例の副歌として生徒

手帳にまで印刷されてゐる「鳥

海の高嶺」である。

「同窓会だよ。」七号紙上によ

れは、後輩某君が立教大学に進

み、応援部に参じたは艮けれど

も、「鳥海の高嶺」を秋田高等

学校校歌として御披露したらし

く、時の立教大学応援団部長・佃

教授発する問合せ文書が学校長

宛に舞ひ込んで、一関先生が事

情を知る者の一報を求めたに対

して、秋中野球部昭和二年卒業

の関俊男氏が由来の詳細を「同

窓会だより」八号に寄せられ弁

明されておられるので、事の経

緯はそれなりに了とするも、自

分如きへそ曲りは内心面白くな

い。他校の校歌をそのまま借り

受けて「鳥海の高嶺を……」と

歌って、知らぬ事とは言ひ条、

何が悲しくて秋田県秋田高等学

校校歌として紹介したものかと

憤満苺る方無かった。

然し之は立教大学生某君に全

ての罪を着せる訳にもゆかぬ。

昔、野球部関係者が此歌をう

たって士気を鼓舞するに効有っ

たは良いとして、野球部に緑無

く、立教大学に関係無き者まで

が調子の良さに引かれて歌ひま

くり、果ては長い間にうすうす

その事情を察しながら生徒手帳

にまで校歌に対する副歌として

の地位を与えて載せたのが間違

ひの基である。

事内々穏便に済んだのが幸い

て、此後同窓会は秋田県立秋田

高等学校と「鳥海の高嶺」の因縁

を抹消する可く努めなければな

らぬと思ふのだが如何だらう。

友へ誇る可きは我が校歌で、

大学者詩人、土井晩翠作詞の校

歌は全国の名門高校に数多く、

本県に於いては大館鳳嶋と横手

高校がそれだが、ひいき目で観

る故か「天上遥かに太平山の」

は他を圧して味はひが深く、一

連の詞の流れから語句を抜き出

すのは邪道だが、「我生我世の

天職いかに」や「敬天愛人理想

を高く己を修めて世のためつく

す」などは同窓生として死ぬま

で座右の銘てある。

之は校歌制定に尽力された古

村精一郎先生の恩師が土井晩翠

であり、その頃秋田中学出身の

優秀なる二高生が多数晩翠の教

えを受けてゐた浅からぬ御縁に

よるものと思はれるが、その後

二十数年を経て一昭和十八、九

年頃一古村先生が土井晩翠にお

会ひした機会に校歌の御礼を申

し上げると共に、日本中に令名

を馳せた土井晩翠が、余多数有

る教え子のうち秋田中学の古村

先生を覚えておいて下さった御

礼を述べた処、「縁有って教え

た生徒はそう雑作なく忘れない

ものですよ」と言はれたとの事

だが、斯の如き因縁は忘る可か

らさるものにして、新に校史編

纂の折あらは更に堀り下げて記

し置く可きと思ふ。

因みに校歌作曲者梁田員には

「城ケ島の雨」等の作品があり

一八八五年札幌の生れて、本年

生誕百年との事である。

くボート〉

シングル

スカルで

本校初優勝す

ナノクルフォア 三位

シンクルスカル優勝 桃崎

一インターハイ出場一

釦百メートルバタフライ

珠  青木正之児新樹立〃‥

柔く柔 道〉くバドミントン〉

準優勝に

甘んず

酎好機を生かせず

欄   決勝で涙をのむ

第67回全国高校野球選手権秋

田大会は、晴れの甲子園出場を

賭けて、七月二「一目よ。熱戦

を練りひろげ、本校も「和田高

戟一秋Hl0-0「和日、六回コ

ールト)より順調に勝ち進み、

二回戦 秋H12-0新屋

五回コールト一

三回戦 秋田7-3横手

準々決勝、駁大の難関たる経法

人付一3-1一、準決勝大曲農業

一2-0一を苦戦しながらも大川

投手の力投でしリそけて、二年

ぶり十六回目の甲子園出場の切

符を手にしたかに見えたが、能

代商業の猛打に属した。

○全県総体 団体 準優勝

軽重量級 準優勝 猪

○東北大会

軽重量級 準優勝 烏井

バドミントン

団体 準優勝

男子複 三位小

沼・加賀谷

決勝 秋田0-6能代商

一興五呵八回と好機に一

打が出ず、完敗した。打の柱、

高田環樹一2年生、四番一を中

心とする来年に期待したい。

○全県総体

男子団体 総合準優勝

数門の大砲のみて、機関銃に

欠ける本校は今年も大館工業の

軍門に降る。個人の部では、

男子百米自由形 優勝 清水

同二百米自由形 優勝 清水

〉再び

全国大会へ

咽 四連覇達成

第九回全県高校囲碁選手権大

会は去る六月土ハロー日一秋田

市立文化会館で行われ、本校の

選手は団体戦で見事優勝を遂げ

て、七月二十九日から行われる

全回大会一会場は東京の日本棋

院一に出場することになった。

昨年に続く同一メンバーて、

これで本校はl現連覇を達成。知

的媛技も漸く花開いた。

決勝戦 秋田2-1横手

同百米バタフライ 優勝

青木正之一県新・大会新一

同二百米メドレー優勝青木正

同四百米自由形準優勝青木義

同千五百米自由準優勝青木義

同四百米リレー 優勝

同八百米リレー 優勝

女子四百米自由形優勝 楢岡

同八百米自由形 優勝 楢岡

この結果、清水、青木正、青

木義広一弟一、楢岡が東北大全に

出甥青木(弟一が千五百米自由

形一三位一てインターハイへの

出場権を獲得した。

娩ゑ亥老肋亥肋玄亥∽老切仇蒙仇蒙者∽切仇笈仇老竹肋仇麦蒙肋芽蒙芽菱竹敬肪蒙孝孝老敬玖此者肋放孔蒙芽蒙肋亥∽仇蒙蒙敬亥敬老肋麦芽孝蒙蒙切仇宴肋芝菱切仇仇老肋仇仇仇几身を芽麦芽老竹

へんしゅう室

「だより」の発行が年二回に

決まった。沢石委員長ほか八人

のスタソフからなる新広報委員

が一堂に集まり、編集会議一写

真一を開いたのが七月九日。

校舎改築、囲常置委員会の設

置、新校長の就任など大ニュー

スが重なったため記事の選択に

苦労した。

編集の途中では、小野新監督

の硬式野球が大進撃。甲子園出

場か決まったら、一面トノブに

大見出しでtというを決めてい

たのに残念。

酷暑の中、インターハイから

帰った翌日、畑沢校長にインタ

ビュー。疲れも見せずにトット

ツと教育を語る同校長の熱心さ

に敬服した。一S一