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中晩唐五代

の詩格

の背景

ついて

中晩唐五代の詩格の背景について

詩人

はど

のよう

にして生まれ

るのか。人が詩人として形作

られ

ていく過程には様

々な要素がそれに与

って

いる。

例えば、時代が影響

したり、或

いは人が影響したりと。

そしてまた人

は書物

を通

して影響

を受け

ることが

できる

であ

る。それは自ずと限界がある人

の行動範囲を超え

て、異なる時代、異な

る空間

へと誘

ってくれ

る、

はな

はだ魅

力的

にして影響力

のあるも

のであ

る。因

って詩人

の文学

の内実

を知

ろうとすれば、

の人が読

んだ書物がど

のよう

なも

のであ

ったかを探る

ことから入り込

むのは至

って有効な手だてであ

ろう。更

にはそ

のような書物

を通

してそ

時代や読者層が浮

かび上が

ってくることもある。そ

こで本稿

では中晩唐

五代

の詩格

の書を手掛

りに、それらが当時

の読者とど

のよう

に関

っていたかを明ら

かにし、併

せて詩格

から宋代

の詩話

へと繋げ

しめた要因を論じ

ること

って、詩人たちにと

って詩格

の書を持

つ意義を問

い直

した

い。

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読書人

の青少年期

の学習歴について

白楽天は幼少期

から

の自ら

の勉学振

りに

ついて、

の有名な

「元九に与

ふる

の書」

で次

のように語

っている。

五六歳

に及び、便

ち詩

を爲

るを學

ぶ。九歳

にして聲韻

を暗識す。十五六にして始

めて進士有

るを知

り、

苦節し

て讃書す。

二十已來、書

には賦を課し、夜

には書

を課し、間

に又た詩を課し、寝

息するに逞あらず。以

て口舌

に瘡

を成

し、手肘

に脂

を成す

に至る。既

に肚な

るも膚革豊盈

ならず、未だ老

いざるに歯髪早

に衰白

し、瞥瞥

として飛蝿垂珠

の眸子中

に在

る者

の如く、動く

こと萬

を以て激

ふ。蓋

し學

に苦

しみ文

に力

むるを以

て致す所、

又た自ら悲

しむなり。

及五六歳、便學爲詩。九歳暗識聲韻。十五六始知有進士、

苦節讃書。

二十已來、書課賦、夜課書、間又課詩、

不逞疲息 。以至干

口舌成瘡、手肘成胆。既

肚而膚革不豊盈、未老而歯髪早衰白、瞥瞥然如飛蝿垂珠在眸子中

者、

動以萬藪

。蓋以苦學力文所致、

又自悲 。 (『白氏文集』巻二十七

「與元九書」)

この引用文

のすぐ前

〈僕

の宿習

の縁、

已に文字

の中

に在り〉と言

い切

るのは、

このような涙ぐ

ましい努力と無

ではな

い。そしてまたこの白楽天に限らず、当時

の士大夫

の子弟

たちは皆、間違

いなく同じような学習歴

を持

ている。例えば、九歳で早死

にした白楽天

の子供、

白幼美

ついても次

のように記

している。

白氏

の下蕩

を幼

美と

日ひ、小字

は金剛奴。

……既

に生まれながらにして恵

にして、既

に該

にして敏なり。

七歳

にして能く詩賦を諦

し、

八歳

にして能く書

を讃

み、琴

を鼓

(ひ)く。九歳

にして不幸

にして疾

に遇ひ夫す。

白氏下蕩

日幼美、小字金剛奴……既生而恵、既該而敏。七歳能論

詩賦、八歳能讃書、鼓琴。九歳不幸遇疾夫。

(『白氏文集』巻二十五

「唐太原白氏之膓墓誌銘井序」)

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の習

いに従

って、彼

等は貢

の試験

を目指す

べく教育

されて

いたのであれば、そ

の勉学振

りと聡明さを

この

よう

に誇

らしげ

に語

るのは宜なることであ

る。

しかし膨大

な詩文

を残

して

いる彼等が、自ら

の幼少期

の細部

にまで語ること

は驚く

ほど少なく、そ

の読書体験

関す

る記録も殆ど無

い。次

の晩唐

の皮

日床

の記事

ぽそ

の稀有

な例と

ってもよ

い。

余、童

たりて郷校

に在りし時、簡上

に杜舎

人牧之

の集を抄

し、

「進士嚴憧

に與

ふ」詩有

るを見

る。後

に呉

に至

り、

一日、客有

りて曰く、嚴某と。余、其

の名

を志す

こと久し。遽

かに文を懐き

て造らる。是

に於

て得

るを樂

しみ禮して之を観れば、其

の爲

る所

は七字

に工にして、往往にして清

便柔媚

なるも

の有

りて、時

に常軌

を軟骸

すべし。其

の佳き者

に曰く

く春光再再として何れ

の庭

にか蹄せんとす、更

に花前

一杯

を把る。蓋

日花

に問

ば花語らず、誰

の爲

にか零落

し誰

の爲

にか開

かん〉と。余、之

を美

めて調

して未だ嘗

て怠らず。生、進

士に學

られ、亦

た十鯨

たび計僧す。余、方

に之

を冤む

に、寛

に時を得

たる

こと有

りと謂ひしを。未だ幾ならず

して

中晩唐五代の詩格の背景について

に蹄

り、後

(原注、威通十

一年也)、

雪人

て云

へり、

生、

を以

て所

に亡く

りき

に詞

を以

て士

大夫

に聞

こゆ

るも、

に名あ

らず

して逝

り。

に止

に此

にて浬

んや。

余爲童在郷校時、簡上抄杜舎

人牧之集、見有

「與進士嚴一陣[詩。後至臭、

一日有客

日、嚴某。余志其名

久 。

遽懐文見造。於是樂得禮而観

之、其所爲

工於七字、往往有清便柔媚、時可軟骸

於常軌。其佳者曰

く春光

再再蹄

何慮、更向花前把

一杯。

日間花花不語、

爲誰零落爲誰開〉。余美之誠而未嘗

怠。生學進士、亦十鯨

計僧。余

方冤之、謂乎寛有得於時也。未幾蹄呉興、後爾月

(原注、威通十

一年也)、誓人至云、生以疾

亡於所居 。億

、生

徒以詞聞於士大夫、寛

不名而逝。豊止此而浬没耶。

(『松陵集』巻八

皮日休

「傷進士嚴子重詩井序」)

日休

の生卒年

ついては諸説有

るが、

通七年

(八六六)に貢挙を受験

し不合格

にな

って

いること

から、

ここ

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では

〈余爲童在郷校時〉が

それ以前

のことであ

った

こと、

そして厳憧

ついては原注に明示され

るよう

〈威通十

一年

(八七〇)〉

に亡くなるま

で何度も中央試験

(省試)に臨

んだと

いう

ことが確認

できれば

い。

一方、皮

日休

詩を書写された杜牧

(杜舎人牧之)は大中

六年

(八五二)頃に亡くな

っており、

そうす

ると

杜牧

の晩年と

皮日休

の幼

少期が

重なるのは間違

いな

いであ

ろう。

こで皮

日休が

見たと

いう

「進士厳慨

に与

ふ」詩

は、現行

『焚

川外集』

に牧

める

「厳憧秀才

の落花

に和す」

である可能性が高く、

この厳憧なる人物

ついて杜牧

はまた次

のよう

な記事

を残

して

いる。

五年

(八四五)十

二月、

(池州)よ

り桐

(睦州)

を守

んと

……後

四年、

(湖州)を守

り、

因り

て進

士嚴揮と鬼神

の事

に言及す。

…-大中

五年

(八五

一)辛未歳

五月

二日記す。

會昌五年十

二月、某自秋浦守桐盧

……後

四年、守呉興、因與進士嚴憧

言及鬼神事。……大中

五年辛未歳

五月

日記。

(『焚川文集』巻九

「唐故進士襲昭墓誌」)

これを見

ると、

嚴憧

は杜牧

の最晩年期に交流があ

った

ことが知られ、前掲

の皮

日休

の序文

に引用する杜牧

「進

士厳揮

に与

ふ」詩が作

られた

のも

この頃と考えられる。

杜牧

の集を見た、そ

の頃、皮

日休

は地方

の裏陽

に居た。彼がほぼ時代が重なる杜牧

の集を、そ

の中

には前述

の如

かなり新し

い詩も含まれて

いたのだが、

それ

を見たと

いう

こと

から、

この時代

の情報

の伝播

の有

り様が知

られ

よう

で興味深

いも

のがあ

る。しかしここで注目

しておき

いのは、彼が

〈郷校〉と

いう場所で杜牧

の集を書

き写し

ていたと

いう

ことであ

る。皮

日休が郷校

で学

んでいたと

いう

こと

は、勿論、貢挙

を目指

して

のこと

であ

るが、

そこ

で或

る人

の詩集が作詩

の為

の参考文献

にな

っていたと

いう、

の学習歴

を具体的

に語

っている

のである。郷校

とは

『唐会要』巻

三十五

「学校」

に記される州学

や県学

のこと

で、先

に掲げ

「元九

に与

ふるの書」

にも言及があ

る。

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中晩唐五代の詩格の背景について

た昨ご

ろ漢南を過りし日に、

ま主人

の衆樂

を集

め、

他賓

を娯

しましむるに遇

ふ。

諸妓、

僕が來

たるを見

て、指

さして相

ひ顧

みて曰く、此れ

は是れ

「秦中吟」 「長恨

歌」

の主なりと。長安より江西

に抵るまで三四千

里、

凡そ郷

・佛寺

・逆旅

・行舟

の中、往往にして僕

の詩

を題す

る者有

り。士庶

・僧徒

・嬬婦

・威女

の口に、

毎毎僕

の詩を詠ず

る者有り。此れ誠に雛贔

の戯

にして、多と爲す

に足らず。

又昨過漢南日、適遇主人集衆樂、娯他賓。諸妓見僕來、指而相顧

日、此是

「秦中吟」

「長恨

歌」主耳。自長安

ヘ へ

抵江西三四千里、凡郷校

・佛寺

・逆旅

・行舟之中、往往有題僕

詩者。士庶

・僧徒

・嬬

・威女之

口、

毎毎有詠

詩者。此誠雛蒙之戯、不足爲多。

(『白氏文集』巻二十

「與元九書」)

元和十年

(七九五)、都、

長安から江州

司馬

へと左遷された

白楽

天は

々に彼

の詩が

書き

つけられたり、 口ず

まれて

いたりす

るのを目

の当

たりにす

る。様

々な階層

の人

々に支持

されていた白楽

の詩

は、

ここに記される

「秦

中吟」

「長恨歌」以外

に、

みず

から感傷詩

や雑

律詩と呼び、

いは世間

から

元和体

称されるも

のであ

った

が、具体

的に何と

いう詩

であ

った

かはそれ以上語

って

いな

い。

しかしここでもそ

のような詩が

〈郷校〉

の壁

にも書

つけ

てあ

ったと

は、郷校

で学ぶ者たちと詩を結

ぶも

のと

して、

またそれらが作詩

の為

の手本

でもあ

ったことを彷

彿

とさせるようで、

って貴重な記録

と成り得

ている。

このよう

に貢挙を目指す若者たちが具体的

に誰

の詩

を参考

にしたと

いう

ことを語

っていな

いことが、本稿

で述

ようとする詩格

の書

の背

景を見え

にくく

しているが、

しかし詩文を作

るにあ

って、そ

の準的となるべき

のが切

に求

められ

ていた

ことは想像に難くなく、

またそれ

は次

の資料

からも裏付けられ

る。貞

元十

一年

(七九五)、

韓愈

求職

の為

に宰相

に奉

った書

に次

のように記している。

而う

して方

に聞く國家

の仕進者、必ず州縣

より學げられ、

然る後

に禮部吏

部に升

せられ、之を試

みるに繍絶雛

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の文を以

てし、之

を考

ふるに聲勢

の逆順

・章

の短長を以てす。其

の程式に中

たる者、然る後

に下士

の列

6

を得

而方聞國家之仕進者、

必學於州縣、

然後升於禮部吏部、

試之以繍絶雛琢之文、

考之以聲勢之逆順

・章句之短

長、中其程式者、然後得從下士之列。

(『東雅堂昌黎集註』巻十六

「上宰相書」)

詩文創作

の規則に適

った

〈程式〉

は手本

を必要とされ

る。唐

の趙隣

『因話録』

は次

のよう

に記している。

韓文公と孟東野と

は友善

たり。韓公

の文

は至高

にして、孟

は五言に長じて、時

に孟詩

・韓筆と號す。元和中、

後進は韓公を師匠とし、文膣大

いに攣ず。又た柳柳

州宗

・李尚書覇

・皇甫郎中提

・漏磨事定

・祭酒楊公

・余

の座主李

公、皆高文

を以

て諸生

の宗

とする所と爲り、而

して韓

・柳

・皇甫

・李公皆後學

を引接す

るを以

て務と

爲す。……又た元和より以來、詞翰兼

ねて奇なる者、柳柳州宗元

・劉

尚書禺錫

及び楊公有り。劉

・楊

二人詞翰

の外、別

に篇什

に精

し。又た張司業籍

は歌行を善く

し、李賀

は能く新樂府を爲

り、當時歌篇を言

ふ者、此

の二

人を宗とす。李相國程

・王僕射起

・白少傳居易兄弟

・張舎人仲素、場中詞賦

の最

と爲り、程式

を言

ふ老、此

五人を宗とす。

韓文公與孟東野友善。韓公文

至高、孟長於五言、時號孟詩

・韓筆。元和中、後進師匠韓公、文膿大攣。

又柳柳

州宗元

・李尚書覇

・皇甫郎中

・凋砦事定

・祭酒楊公

・余座主李公、皆以高文

爲諸生所宗、而韓

・柳

・皇甫

公皆以引接後學爲務。……又元和以來、詞翰兼寄者、有柳柳州宗元

・劉尚書禺錫及楊公。劉

・楊

二人詞翰之

外、

別精篇什。

又張司業籍、善歌行、李賀能爲新樂

府、當時言歌篇者、宗此

二人。李相國程

・王僕

射起

・白少

易兄

・張

仲素、

詞賦

最、

程式

者、

人。

(『因話録』巻三

「商部下」)

こから

元和

・長

慶年

間あ

たり

の様

々な

ンル

の旗

手が

され

いた

ことが

るが

に最

のく

だり

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程を始

め五人

の詩賦が貢挙

〈程式〉と

されたと記

しているのは注目される。

ついて次

のような

エピ

ソードを残

している。

五代

の王定保

『唐撚言』

にも質

質島

は程式

に善

からざれば、

に自ら

一幅を畳み

て、

を巡りて人

に告げ

て曰く、

原夫

の輩、

一聯

を乞

はん

程式、

一幅

巡舗

日、

之輩

一聯

(『唐撫言』巻十二

「輕佛」)

三 中晩唐五代期

の詩格

の書

について

中晩唐五代の詩格の背景について

貢挙

の試験

の為

〈程式〉が

必要

であ

ることから、受験生

たちが実際に有名な作者

の詩文

を手本と

していたこと

は先

の資料

に見たが、貢挙と

いう制度

は作詩、作文

の為

の作例指南書までも生みだした。所謂、詩格

に関す

る、

の書が

これと大

いに関

わる。

ここでいう詩格

の書と

は、詩

に限らず

、賦、或

いは耕

文までも含

めた解説書と

いう

意味

で用

いるが、

この研究

は早く

は羅根澤氏などが手掛け、

近年

は張伯偉氏が

『全唐五代詩格校考』

を、

続け

『全唐五代詩格彙考』

を上梓

しており、書誌学的研究

にも

細心

の注意を払

ったこれら

の業績

は詩格研究、

いては

中国詩学研究

に多大な貢献

を成している。本論もそ

の成果

に拠

るも

のが少なくなく、今、前掲

の張

の書

に拠

って

現存す

る中晩唐五代期

の詩格

の書名及びそ

の作者

を掲げると次

の通りである。

『詩議』

(七二〇1七九八?)

『詩式』

(七二〇1七九八?)

『金鍼詩格』又名

『金鍼集』

奮題白居易

(七七二ー八四六)

『文苑詩格』

奮題

白居易

(七七ニー八四六)

7

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『二南密

旨』

蕾題質島

(七八〇ー八四三)

『爽穀子詩格』

王叡

(宣宗、僖宗時人)

『縁情手鑑詩格』

李洪

『新定詩格』

鄭谷

(八五

一?1九

一〇?)齊己

(八六

一-九四〇?)・黄損

『風騒旨格』

僧齊己

(八六

一ー九四〇?)

『流類手鑑』

僧虚中

『雅道機要』

徐責

(五代)

『風騒要式』

徐街

(五代)

張氏

の前掲

の書

は更に

「全唐五代詩文賦格存目考」

を附しているが、それでも実態としては歴代

の書目

にも載ら

いも

のが

当数

った

こと

は疑

いな

い。

ことが

でき

る。

これら詩格

の書が貢挙に強

い影響

を与え

たことは、次

の資料から窺

い知

後唐

の明宗

の長興元年

(九三〇)

……十

二月、

毎年貢畢人

の試

みらるる所

の詩賦多く膿式

に依らざれば、中書

奏請すらく

、翰林院

に下して、學

士に命

じ詩賦各

一首を撰ば

しめ、貢

院に下

し以

て學

の模式

と爲さ

んとす

士院奏

すらく、伏

して以ふに物

を豊

し情

に縁り、

文士各

の其

の工拙

を推

し、材

を倫び

て藝

を校ぶる

に、詞場

より其

の規程有

り。凡そ策名

に務む

るには合

に常式

に遵

ふべし。況んや聖君

の御宇奥學朝

に盈

ち、償令其

規模を明示すとも、或

ひは衆

の其

の減否を貼さ

んことを慮る。歴代作者

は、範

を垂

れて相

ひ傳

へて、將

に彼

微鍛を絶えんことを期すれば、未

だ其

の奮制を學ぐ

るに若かず。伏

して乞

ふに所司に下

して、

『詩格』

『賦福』

に依

て、

を考

せん

こと

を。

8

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後唐明宗長興元年

(九三〇)……十

二月、

毎年貢學人所試詩賦多不依膿式、中書奏請下翰林院、

命學

士撰詩賦

一首、下貢

院以爲學

人模式

。學

士院奏、伏以膿物縁情、文

士各推其

工拙、倫

材校藝、詞場素有其規程。凡務

策名合遵常式。況聖君御宇奥學盈朝、熊令明示其規模、

或慮衆胎其戚否。

歴代作者、

垂範相傳、

將期絶彼微

中晩唐五代の詩格の背景について

環、

未若學

其奮制。伏乞下所司、依

『詩格』 『賦福

』、考試進士。

(『珊府元亀』巻六百四十二

「貢學部

・條制第四」)

この資料が語る時代

は唐

の後

の五代

(後唐)ではあるが、

毎年

の貢挙

で科

され

る詩や賦が

〈盤式〉

依らな

いた

め、翰林学士

に詩賦を作ら

せて受験生

〈模式〉

にさ

せようとしたこと、また

『詩格』

『賦福』

に依拠し

て進士

を試験

した

ことなど、当時、如何

に規範と

いうも

のが

なければ詩や賦

を作る

こと、またそ

の良

し悪

しを評価

する

とが難

しか

ったかを知

ることが

でき

る。

ここに引用す

『詩格』の作者が誰

であるかは定

めが

たいが、『賦福』

の作

は、前掲

の趙燐

『因話録』

にもそ

の作品が受験生

たちによ

って

〈程式〉と目され

た、張仲素

であ

ろう

(『新唐書』

巻六十

「藝文志

・文史類」等)。

以上、詩格

の書が貢挙と如何

に大きく関

っていた

かが知

られ

るのであるが、

しかし、

はじめから貢挙と歩

みを

同じくして

いたわけ

ではな

い。例えば、絞然

『詩式』 「中序」

には、六朝、梁

の沈約

『品藻

(詩格)』

なる書

言及

しているが、貢挙

の制度

に先立

って既

にこのよう

な書が存在

して

いたのである。そもそもそれ

は純粋

に詩

の格

を究

めんとする者

のために作られ

たのであ

る。唐

の開成三年

(八三八)から十年

に亘

って留学

して

いた、

日本

の圓

(慈毘大師)も

『開

元詩格』

一巻

(『日本國承和五年入唐求法目録』)や

『詩賦格』

一巻

(『入唐新求聖教目録』)を持

ち帰

った

のも、

それらが異国人にと

って作詩

の為

の貴重な指南書と成

り得

たからである。また九世紀末

に成

ったと考え

られる、

藤原佐世

『日本国見在書目録』も詩格

の書

を記録

している。

いま関連する箇所

を掲げ

ると左記

の通

り。

『詩

口叩』一二巻 『詩評』

六盆値

9

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『文軌』

十巻 冷泉院

『筆札華梁』

二巻

『文章膿』九巻

『文章膣例抄』

一巻

『文土早儀嗣式』 一{巻

『文章要決』

一巻

『文章

四聲譜』

一巻

『詩筆農』

一巻

『文筆要決』 一巻 杜正倫撰

『囑農法』

一巻

『詩髄脳』

一巻

『詩格』三巻

『寳筐』

一巻

『大唐文章博士嫌吾文筆病書』

『文音病』

一巻

『文章故事』

一巻

『八病詩式』

一巻

『百囑篇』

一巻 樂法藏撰

一巻

『文軌抄』六巻

『文譜』

十巻 冷泉院

『文章膣例』

一巻

『文章農様』

一巻

『文章膿論』 一船苞

『文章繹雑

義』

一巻

『文章式』

一巻

『諭膿』

一巻

『文筆式』

二巻

『四聲

八躰』

一巻

『注詩髄拶』

一巻

『詩病膿』

一巻

『文筆範』 一巻 王孝則

『詩

八病』

一巻

『文章始』

三巻 冷泉院

『詩膿』

七巻

『讃異躰諸詩法』

一巻

『文場秀句』

一巻

10

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中晩唐五代の詩格の背景にっいて

『古今詩類』

二巻

『文儀

集注』

一巻

『唐朝新定詩膿』

一巻

『五格

四聲』

一巻

『聖謹論』十

一巻

『累玉記

一巻

ここで注目すべき

は、詩格

の書が

「小學家」に並べられ

ていることである。

この目録

の分類

は小長谷恵吉

『日

本国見在書目録解説稿』

に拠ると、

『晴書』 「経籍

志」

を踏襲

していると

いう。

この経部小学類

には、

例え

ば、許愼

『説文解字』

のような字書

や、劉善経

『四聲指蹄』

のような声韻

に関するも

のも属

しているが、

『日

本國

見在書目録』 「小學家」

にはそう

った書

の後

に、

このよう

に詩格

の書も

並べられて

いる

のであ

る。

これより

先、

九世紀初

めに成

った、空海

『文鏡秘府論』も王昌齢

『詩格』

や咬

『詩議』などと共に、

『調

四聲譜』

や劉

善経

『四聲指蹄』と

ったも

のも引用して

いる。と

ころが時代が降

って

『新唐書』や

『宋史』

では詩格

の書

は経部小学類ではなく、集部文史類

に置

かれるようになる。分類

の差異

は詩格

に対

する解

の差異であ

る。 『日本

ヘ ヘ ヘ へ

見在書目録』

で詩格

の書を

「小學家」

に置

いている

のは、

この目録

の分類自体が中国

のも

(『晴書』

「経籍志」)

ほぼ踏襲

して

いる

のであれば、詩格

の書をこ

のように分類す

る、より具体的な拠り所と成

り得るも

のがやはり中

に有

ったと考え

ても不思議

ではな

い。そして

『文鏡秘府論』『日本国見在

書目録』より後

に、詩格

の書

に対す

る見

に大きな変化が起

ったと

いう

ふう

推測される

のである。

羅根澤氏はそ

の著

『中國文學批評史』

の中

「詩

格」と

いう章

を設け、

詩格

の隆盛が初盛唐

と、

晩唐

五代

から宋代

の初

めの二つの時期

に在

った

ことを

論証

してい

る。張伯偉氏もそれを認

めた上で

初盛唐

の詩格が詩病や

対句中心

っているが、

それ

ょうど

律詩

の形成

完成時期

であ

り、

また貢挙と関係があ

るからと

し、晩唐五代

ついては多く

の詩僧

たちが中唐

の絞然

『詩式』

影響

を受け、形式的

には

〈門〉

を発明し、

理論的

〈体勢

(張力)〉と

〈物象

(意

.象の融)〉

を深化させて

った

11

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ことを論証

しているよう

に、詩格

ついて形式的修辞的

なも

のから詩歌

理論的なも

へとそ

の関

心が移

って

った

ことが知れ

る。

これと前述

の詩格

の書

の分類

の変化とが軌を

一にしていると見

ることが

でき

る。

この詩格

の理論的

な問題

ついては更なる研究が待

たれるが、

そも

そも晩唐五代

の詩格

の隆盛を支えたも

のは

一体何

であ

った

のか。

『唐詩記事』

「段成式」

の項

には次

のような記事

を載

せている。

『酉陽雑狙』

に云

へり

(中略)因りて説

ふ、

故牛相公

(僧儒 八四八残)揚

にて秀才、

渕季逸

の詩

〈蜷

酔裏

に破れ、蚊蝶

は夢中

に残

る〉と

云ふを賞し、毎坐之を吟ずと。

予因りて坐客

に請

ひて各

の近

日の詩

を爲る

の佳句

を吟ぜ

しむれば、

頁島

〈蕾國別れ

て多

日、故人

に少年無

し〉

を吟ず

る有

り。 (『全唐詩』巻五百七十二

「旅遊」)。

馬戴

〈獲

は洞庭

の樹

に暗く、

は木蘭

の舟

に在り〉と。 (同書巻五百五十五

「楚江壊古三首」其

一)。

又た

〈骨消ゑ

て金鎌在り〉と。 (同書巻五百五十五

「塞下曲二首」其

一)。

僧無可

〈河來

りて塞

に當

たりて断

たれ、

山遠く

して沙と平かなり〉

を吟ず

る有り。

(同書巻八百十三

「送李騎曹之武寧」※同書巻二百四十八 郎士元

「送李騎曹之鰻武寧侍」)。

又た

〈門

を開けば落葉深

し〉

と。

(同書巻八百十三

「秋寄從兄買島」)。

張砧

〈河流側

に關

に譲

る〉

を吟ず

る有り。 (同書巻十八

「入關」※同書巻五百十

「入撞關」)。

又た

〈泉聲

は池に到りて壼く〉と。 (同書巻五百十

「題恵山寺」)。

僧霊準

の詩

〈晴

に看る漢水

の廣き

を、秋

に畳ゆ蜆山

の高き

を〉を吟ず

る有

り。

朱景元

〈塞鴻

は秋

に先

んじ

て去り、

邊草は夏

に入りて生ず〉を吟ず

る有

り。

は上都

の僧元礎

〈寺

は隔

たりて残潮

去る〉を吟ず

12

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中晩唐五代の詩格の背景について

〈藥

を采

りて泉聲

を過る〉と。

又た

〈林塘秋半

の宿、風雨夜

深く

して來

る〉

と。

は蜀中

の客寵季子を識りて、毎

〈寒雲生

じて満ち易く、秋草長ず

るも高く

なり難

し〉を云ふ。

『酉陽難姐』

(中略)因説故牛相公揚州賞秀才劇季逸詩云

〈蠕蛉酔裏破、蚊蝶

夢中残〉、毎坐吟之。予因請坐

客各吟近

日爲詩者佳句、有吟質島

〈蕾國別多

日、故人無少年〉。馬戴

〈援暗洞庭樹、人在木蘭舟〉、又

〈骨消金鎌

在〉。有吟僧無可

〈河來当塞断、

山遠與沙平〉、又

〈開

門落葉深〉。有吟張砧

く河流側譲關▽、

〈泉聲到池蓋〉。

有吟僧霊準詩

〈晴看漢水廣、秋畳蜆山高〉。有吟朱景元

〈塞鴻先秋去、邊

草入夏生〉。余吟上都僧元礎

〈寺隔残

潮去〉、又

〈采藥過泉聲〉、又

〈林塘秋半宿、風雨夜深來〉。余識蜀中客瀧季子、

く寒雲生易満、

秋草長難

高V。

(『唐詩記事』巻五十七

「段成式))

ここに引く段成式

(八六三残)

『酉陽難組』

の記事

は現行本

には見えな

いが、

この記事

の省略

した部分

は南宋、

曾髄

『類説』巻六にも

『盧陵官

下記』 「句枝」

として類似

の文を載

せている。

予、坐客

の聯句

の互ひに送るを以て煩と爲

し、乃

ち細き斑竹

を取

りて、白金を以て首

に絡

めること茶爽

の如く

し、

て遽

ひに聯句を送れば、

を句枝と謂

ふ。

ひは悪韻

を押むを角

ひ、

ひは怨茶を煎

て八韻

の詩を爲

り、皆之を雑連と謂

ふ。若し不朽なるを志

せば則

ち客を汰び稔韻を棟び、得

る所無ければ輻

ち已み、之

を苦連

と謂ふ。句句共

に平聲

の好韻

にして僻ならざ

る者

を押

み、竹簡

に書

し、之を牒と謂

ふ。

予以坐客聯

句互送爲煩、乃取

細斑竹、以白金絡首如茶爽、

以遽送聯句、謂之句枝。或角押悪韻、或煎怨茶爲八

韻詩、皆謂之雑連。若志於不朽、

則汰客棟稔韻、

無所得輯已、

謂之苦連。

句句共押平聲好韻不僻者、

書於竹

簡、謂之牒。

13

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書名

にいう

〈盧陵〉とは吉州

の治所で、段成式

は大中

元年

(八四七)から同

七年

(八五三)までそ

この刺史と

して赴

していた。

また先

『唐詩記事』に牛僧儒を

「故牛相公」と記

してあれば、

この話

は更

に大中

二年

(八四八)から同

七年

(八五三)までの事と限定

でき

る。

この話

から段成式が日常的

に坐客と共に聯句を作

って

いた様子がありありと

伝わ

ってく

る。

聯句を

いちいち遣り取りする

のが面倒な

ので、

を書き

つけた竹を繋

いだようなも

(句枝)も考

したり、

また坐客とやや

こしい韻

(悪韻)で挑

んだり、

お茶を煎

る間

に八韻

の詩を完成

したりもした

(雑連)。

た不朽

の名句

をと思えば、

それ

は先ず相手と穏当

な韻

(穏韻)から選ばなければならな

いが、

句が思

い浮

かば

なけ

ればそれまでと

した

のである

(苦連)。平声

のほど

よい韻

(平声好韻)を踏

んで

いれば、それを書き残しもした

(牒)。

これは当時

の聯句

の有

り様を知

る上

で恰好

の材料を提供

している。しかしまた別

の角度

から

これを見れば、本論

問題

にしている詩格とも密接

に関係す

る。

〈悪韻〉

〈穏韻〉

〈平声好韻〉と

ったも

のは押韻

について言

っており、

〈雑連〉 〈苦連〉 〈牒〉

になると

形式論

や創作論

に関

わる事

であ

る。

つまり

これ

は何も聯句に

った

こと

ではな

く、大きく詩

の形式論

・格

律論

・創作論

の範疇

に入るも

のであ

り、詩格

の書

の中

で論

じられても決して不思議

では

い内容

である。段成式

〈苦連〉

ついて

〈若

し不朽

なるを志

せば則ち客

を汰び穏韻を棟

び、得る所無け

れば輯

ち已

む〉と

いうが、

これは例えば、

王昌齢

『詩格』 (空海

『文鏡秘府論』南巻引)

〈夫れ文章

を作るには、

但だ

多く意

を立

つ。左

に穿

ち右

に穴

ほり

て、心を苦しめ智を端くしさしめ、必ず須

らく身

を忘れ

て、拘束すべからず。

ひ若

し來

たらざれば、帥

ち須らく情

を放

にして却

て之

を寛

にし、境

を生ぜしむべし。然

る後境を以て之を照らせ

ば、思

ひ則

ち便

ち來

り、來

れば帥

ち文を作る。如

し其

の境思來

たらざれば、作

るべからざるなり〉と

いう

のにも通

る創作論

であ

る。

にこの資料

で押さえておかねばならな

いのは、当時、坐客と

↓緒

に場

を楽しんでいたと

いう

こと

であ

り、そ

14

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中晩唐五代の詩格の背景について

一つが聯

ったと

いう

こと

であ

る。

を楽

しむ

こと

ついて

は、

じく

段成

『酉

陽雑

組』

は次

のよう

にも

いる。

成式

一夕堂

に會

し、

に妓

の玉壷

は魚爽

を忌

みて、

て色動

り。

て諸

の悪

む所

の者

を訪

ぬれば

、蓬

は鼠

を忌

み、

は鍛

こと尤

しき

こと

り。

ち鍛

り鼠

を學

の事

を競

こと百鯨

に至

る。

予戯

に其

の事

を掠

ひて

『破鍛

録』

を作

る。

式曾

一夕堂中

時妓

玉壺

爽、

色動

因訪

諸妓

所悪

者、

山忌

子忌

蝕尤

。坐

客乃

鼠事

百鯨條

撫其

『破

録』。

(『西陽雑姐』巻十二

「語資」)

や鼠

った話題

で盛

り上

る、

のよう

で聯

も作

いた

のであ

る。

っと

も聯

を詠

む規

の大

と知名

で言

えば

に中

の大

に飽

の漸

東詩

や顔眞

や絞

の漸

西詩

らが有

る。

いろ

ろな形式

で聯

を詠

み、

た面

い趣

向が

らさ

いた。

りも

の孟

「寒夜

明府

ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ

(『全唐詩』巻

一百六十)

〈鑓

遽酒

伴、

詩成

(鍵を列ねて酒伴を遽

へ、燭

に刻み限りて詩成る)〉

と詠

んだ

ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ

が、

「水

送諸

士戯

丞聯

句」

〈詩

刻燭

酒任

連盤

(詩は燭に刻みて賦

せしめ、酒

は盤

を連ね

て酌むに任す)〉 (『全唐詩』巻七百八十八)と詠

み、

でも

のよ

向が

いた

ことが

る。

な詩会

は段成

よう

に晩

に至

っても脈

々と

いて

いた

のであ

る。

の坐

客が

であ

った

は段成

いな

いが、

に名

を留

める

こと

った、

のよ

うな

の存在

の文

学史

を考

る上

で決

て無

でき

いも

のが

る。

『唐

詩記

事』

『酉

雑組

の後

で、

段成

〈予

因請坐

各吟

日爲

句〉

った

のに

て、

は好

の句

推賞

した。

の中

・馬戴

・張

・無

は有

であ

るが

ついて

は、

つが

つ質

「霊

上人

院」

(『全唐詩』巻五百七十三)が有

るが、

元楚

や鹿

に至

15

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てはそ

の伝記も不明で、彼等

三人

の詩も

『全唐詩』が

この

『唐詩紀事』

に拠

って逸句扱

いとしている以外、何

も残

っていな

い。

ここにも無名

の詩人たちが登場している。

しかしこれら

の詩人が所謂、有名無名

かは、ひとえ

に今

でに伝

っている資料

に懸

っている。

つまり今

日的事実

は必ず

しも当時

の事実

であ

ったとは限らな

いこと

に注

せねば

ならな

い。

このような事象

は実

は詩格

の書

にも見られる。

例えば、絞然

『詩議』及び

『詩式』以後

の、

つまり九世紀以降

の中晩唐

五代

の詩格

の書

で引用詩句

の有る八種

ついて調べてみると、次

の通り

である。

『金鍼詩格』全

五首、作者不明○首

『文苑詩格』

二十七首、作者不明七首

『二南密旨』全

二十七首、作者不明

二首

『爽穀子詩格』全

二十

四首、作者不明三首

『縁情手鑑詩格』全

三首、作老不明

一首

『新定詩格』引用詩無

『風騒旨格』

一〇五首、作者

不明

三十六首

『流類手鑑』全

二十

三首、作者不明○首

『雅道機要』

一〇七首、作者不明三十六首

『風騒要式』全

二十五首、作者

不明○首 ※作者不明には

『毛詩』や

「古詩」の作者は含まない

この中

『金鍼詩格』 『流類手鑑』

『風騒要式』がす

べて作者

を明示しているが、残り

は作者不明

のも

のや詩題

だけ

のも

のなど、そ

の書式

一定して

いな

い。また同

じ書

の中

でもそ

の書式

はばらばら

であ

る。例えば

王叡

『爽

16

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中晩唐五代の詩格の背景について

子詩格』

にそれを見

てみると次

の通

りである。

'

①律

に背く

の豊

「柳

を詠

む」

〈日は落

ち水流

れて西復

た東、春光蓋きず柳何ぞ窮

まる。巫餓廟

の裏

は低く雨を含

み、宋

の宅前

は斜

めに風を帯ぶ〉。

の後

の第五句と第

二字

は合

に側聲

を用ひ帯び起

こすべきも、

って平聲

を用

ふれば、是れ律

に背くなり。

〈楡英を將

って共

に翠

を争

はせず、

深く杏花

の紅

に相

ひ映ゆ

るを感ず〉。

此れ

は是

れ大才

の常格

に拘らざる

の膿なり。

②計調

の膿

李郵

の詩

〈青蛇竹

に上りて

一種

の色、

黄蝶漢

を隔

てて無限

の情〉。

〈種〉

の字

は合

に平を用

ふべきも側

を用

ふれば、是れ訂調なり。

③景象

を模爲

し含蓄あ

るの豊

に云

へり

〈一瓢

の孤燈

に人夢畳

め、萬

の寒葉

に雨聲多

し〉。

の二句

は燈雨

の景象を模爲

し、

棲惨

の情

を含

み蓄

ふ。

④雨句

一意

の膿

に云

へり

〈如何ぞ

百年

の内、

一人

の閑なるも見ず〉。此

の二句

は屡封と錐も、十字

血脈相

ひ連なる。

①背律膿

「詠柳」

〈日落

水流西復

東、春光不蓋柳何窮

巫餓廟裏低含雨、宋玉宅前斜帯風〉。

此後第

五句第

二字合

用側聲帯起、却用平聲、是背律也。

〈不將楡爽

共孚翠、深感杏

花相映紅〉。此是大才不拘常格之豊。

②訂調匿

17

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李郭詩

〈青蛇上竹

一種色、黄蝶隔漢無限情〉。此

〈種〉字合用平而用側、是計調也。

③模爲景象含蓄豊

詩云

〈一鮎孤燈人夢畳、萬重寒葉雨聲多〉。此

二句模鳥燈雨之景象、含蓄懐惨之情。

④爾句

一意膿

詩云

〈如何百年内、不見

一人閑〉。此

二句錐屡封、十字

血脈相連。

「詠柳」詩

は作者が杜牧

であるから、

〈大才〉と

いう呼称

を用

いられ、格律

に反す

ることが許され

るのであ

る。②

の李郭

の詩

「渕河館

(一作暮春山行田家激馬)」

で、

本書

「隻關膿」

の処では

〈李郭〉

〈李端公〉

と記

す。③

の詩

は作者

・詩題とも不明。④

の詩

は戴叔倫

「別友人」詩。

これら

の例

からも判るように、そ

の書式

には

一貫性が

い。も

っとも

『縁情手鑑詩格』や

『新定詩格』など原形

を留

めていな

いと思われるも

のがあり、

前掲

の統計

の数字

に完全に

りかかることはでき

い。

また

張伯偉

氏は

「摘句論」と題す

る論文

〈詩話

の中

の多く

の引用詩句

の批評

ついて、往

々にしてそ

の詩句

の作者や詩題

を注記

していないも

のがあるが、そ

の詩句

の音

・意象

・リズ

・句法

・韻律

・叙述技法などを分析す

る上

での妨げ

にはな

らな

い〉と述

べている。

これは

〈詩話〉

ついての指摘

であるが、詩格

の書

の引用詩句

ついても同様

の見方が成

り立

つであ

ろう。

しかしここにこのよう

に作者

を明示しているも

のと、作者不明

のも

のとが

混在

してい事象

の存在

する理由そ

のも

のを更

に掘

り下げ

てみる価値

はある。何故ならば

これ

は先述

の段成式

たちが所謂、有名無名

の詩人

たち

の句を推賞

している事象とも通底

していると考

えるから

であ

る。

18

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四 唐人選唐詩との関わりについて

中晩唐五代の詩格の背景にっいて

で詩格

の書及び段成式

の聯句

に関す

る記事

ついて見

てきたが、

これと比

べてみたいのが唐人選唐詩

である。

なぜなら

これもまた唐代

に編まれ

たも

のであり、

これと比較する

こと

によ

って、

この詩格

の書

の時代性及びそ

の特

徴を再確認

でき

るのではないかと期待されるからであ

る。そもそも前掲

『因話録』

の中

でも貢挙

〈程式

〉と目

された五人

の中

一人、

王起

『文場秀句』

なる書を作

っているが、

これを

『新唐書』

「総集

類」 (巻六十

「藝

文志」)に分類している。

しかし先

『日本國見在書

目録』

「小學家」

に詩゚格

の書

に混じ

って同名

の書が並

べられ

いる

のが見

える。

このように

時と

して

詩格

の書と

唐人選唐詩

の境界が

不鮮明

になることが

ると

いう

ことに、

両者

の間

に或る共通項が有る

ことを示唆

している。

唐人選唐詩

ついては

『唐人選唐詩十種』、

にそれを基礎

にして編纂

され

た、

傳瑛珠

主編

『唐人選唐

詩新編』

に依ると

ころが多

いが、

これら唐人選唐詩

の中

で中晩唐

五代期

に限

ったも

のを掲げると次

の如く

であ

る。

『中興間氣集』

三巻

『御覧詩』

一巻

『極玄集』

二巻

『又玄集』

三巻

『才調集』十巻

高仲武

令孤楚

(七六六-八三七)

銚合

(七七五-八五五?)

章荘

(八三六ー九

一〇)

章穀

ここに掲げ

たも

のは僅

か五種

にし゚か過ぎな

い。

陳尚

君氏も

「唐人編選詩歌総

集敏録」

「二

断代詩選

(唐人選

唐詩)」

に於

いて四十七種も

の選集

ついて分析を行

って

いるが、

いず

にせよ、

日、

々が目

にでき

るも

のは

19

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存在

いたも

のに比

て、

にも内

容的

にも

圧倒的

に不足

てい

る。

でも僅

に残

され

たも

のから、

を窺

こと

は可能

であ

る。

ここ

に掲

た資料

いて必要

な説

を加

ると、

元年

(七八五i八〇五)

の後

に成

ったと

され

る、

『中

興間

集』

ついて、

は伝

らな

『唐

詩類

選』

二十

を編纂

した、

大中

(八五六)

に書

いた序文

に次

のよ

に記

いる。

ヘ へ

の纂

からず

錐も

ろ同

じ。

『英盤

』 『間氣

』 『正聲

』 『南

の類

は、朗

の下、

遺有

こと

にし

て、

取捨

の時

に、

も無

し。

ヘ へ

難前

賢纂

不少、

殊途

同蹄

『英

『間氣

『正聲

『南

薫』

、朗

照之

下、

軍有

、而

時、

誤。

(『文苑英華』巻七百十

四、顧陶

「唐詩類選序))

こで

『中

間氣

を股

『河

英霊

集』、孫

『正聲.集

』、寳

『南薫

と併

して、

の選

詩が

正鵠

いると

評価

いる。

しか

し更

に時

は下

って、

(八五

一?1九

一〇?)

『河嶽

英霊

集』

比較

て次

のよ

に詠

んで

いる。

裁豊

露集

股瑠

裁竪

の集

才得

る畳

ゆ同

の旨深

を得

るを

何事後來高仲武 何事ぞ後來高仲武

品題間氣

未公

間氣

に品題

して未

だ公心ならず

(『全唐詩』巻六百七十五

「讃前集二首」其

一)

鄭谷

『中興間氣集』

に対する評価

は巌

いが、

いず

にせよ、

これら

の資料

で押さえておきた

いのは、

この集

が唐末

に至

ってもなお注意されて

いたと

いう事実

である。

っとも高仲武自身も、

「唐中興間氣集序」

で歴代

の選集

に言及しており、唐代

のも

のでは孫

『正聲集』∴崔融

『珠英學士集』・股瑠

『丹陽集』を挙げ

て、

20

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中晩唐五代の詩格の背景について

れら

への対抗意識を露

にして

いる。

の昭明

の載述より已往、撰集者敷家

にして、

の風流を権す

るに、

『正聲』最も備

はれり。其

の絵

の著録、

ひは未だ至らず。何となれば、『英華』

(梁、昭明太子

『古今詩苑英華』)は浮游

に失し、

『玉毫』

(梁、徐陵

『玉

毫新詠』)は淫靡

に陥

り、

『珠英』

は但だ朝

士を紀

し、

『丹陽』

は止だ呉人を録する

のみ。

梁昭明載述巳往、撰集者敷家、

其風流、

『正聲』最備。

其蝕著録、

或未

至焉。

者、

『英華』失於浮游、

『玉毫』陥

於淫靡、

『珠英』但紀

朝士、

『丹陽』

止録呉人。

『御覧詩』

は元和十

二年

(八

一七)頃、翰

林学士、令狐楚が憲宗

の命を受けて編纂

したも

のであ

る。

『極玄集』

については唐末

の光化

三年

(九〇〇)の年

の有

る、童荘

「又玄集序」には次

のように記

して

いる。

昔銚合

『極玄集』 一巻

を撰び、

當代

に傳

へて、

に精微

を壷くすも、

今更

に其

の玄な

る者

採りて、勒

して

『又玄集』

三巻と成す。

昔銚合撰

『極玄集』

一巻、傳

於當代、已蓋精微、今更採其玄者、勒成

『又玄集』三巻。

た章穀

『才調集』も

『又玄集』

から取

られ

たも

のが多

いこと

は、

前掲

の 『唐人選唐詩新編』 「才調集」 の

「前記」

でも指摘す

る通

りである。

これら

のことから少

なくとも現存す

る唐

人選唐詩

に限

ってみれば、

『御覧

詩』

を除

いていずれもそれら

に先

んず

る選

集を意識

している

ことが知れ

る。それ

はまた自ら

の集も後世

の読者を意識して

いると

いう

ことでもあ

る。

いま、

これら唐人選唐詩

の引用詩と前掲

の詩格

の書

のそれと

の重複情況を同見てみると表

の通

りであ

る。 (※

「作

者不明」には

『毛詩』や

「古詩」の作者は含まない。 『新定詩格』は引用詩が無いので省略)

これ

は数字上

の分類だが、

例えば、

『文苑詩格』が引用する

二十七首

の内、

っきりと唐詩と判

るのは全部

で九

21

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風 騒要 式

25首

0首

23首

雅 道機 要

107首

36首

65首

流 類手 鑑

23首

0首

21首

風 騒旨 格

105首

36首

69首

4㏄

首の

7く

首の

3く

首D

9G

縁庸手鑑詩格

3首

1首

2首

1首

(1)

・一一_子

詩 格

24首

3首

12首

二 南

密 旨

27首

2首

8首

文 苑詩 格

27首

7首

9首

金 鍼詩 格

5首

0首

3首

首の

5く

首の

5く

首の

3く

首幻

-く

010101120

000000000

010101520

3333031

3506140

-了

1

1

詩格引詩総数

作者不明詩数

唐 詩 引用 数

唐人選唐詩引用詩数(延数)

中興 間氣 集

御 覧 詩

極 玄 集

又 玄 集

才 調 集

であ

る。

の内、咬然

「題慶寺」が

『極玄集』巻下

に、劉

長卿

「別嚴士元」が

『中興間氣集』巻下及び

『才調集』巻

に、

戴叔倫

「別友

人」

『中興間氣集』巻上

・『極玄

集』巻

・『又玄集』

巻上

にと

いう

ふうに

唐人選唐詩

に三首、

延べ六

例採録

され

ている。

また

『風騒旨格』

は唐代

の詩人

の引

用が

十九首

と際立

って多

いが、実

はそ

の内

の半数

に近

い三十

一例が

の書

の作者

であ

る齊

己自身

のも

ので、

『雅道機要』も

二十首

が齊

の詩

であ

る。

このように唐人選唐詩と詩格

の書と

の間に

は驚く

ほど

の重複が見

て取れるわけではな

いが、

この重複状況

からも時代を反映

して

いる

こと

は窺

い知る

ことが

できる。また

大暦

・貞

元年間

の詩を集

めた

『御覧詩』も詩格

の書

に引用され

ても

よさそうであるが、 一首も取られ

ていない。

これ

『御覧

詩』が当時

も引き合

いに出されず、後世、酷評され

ている

こと

と無関係

ではなく、それがここに如実

に表われて

いると考

えら

れる。更

には

『中興問氣集』巻下

「孟雲卿」

の小序

で高仲武

のように記

して

いる。

・陳

に敷

ふと錐も、綾

かに堂

に升

るを得

のみにして、

ほ未だ室に入らず。然れども当今

の古調

は、其

の右

に出

22

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中晩唐五代の詩格の背景について

るも

の無く、

一時

の英

なり。余、孟

の古

を好

むに感

じ、

『格律異門論』及び譜

三篇

を著

し、以

て其

の豊統

を振

んとす

錐敷於沈

・陳、綾得升堂、猶

未入室。然當今古調、

無出其右、

一時之英也。余感孟君好古、著

『格律異門論』

及譜

三篇、以掘其膿統焉。

の鄭谷

の詩

にも

この

『中興問氣集』が

〈品題〉す

るも

のであ

ったと

いうように、小序

のこのような内容

は詩格

との類似性を指摘

できるし、更

には

ここにいう

〈『格律異門論』及譜

三篇〉がも

し詩格

に関係するも

のであれば、

唐人選唐詩と詩格

を結び

つけ

るも

のとして有力な傍証

に成

り得

よう。

また前掲

『文場秀句』を作

った王起

『大

中新行詩格』 (『新唐書』巻六十

「藝文志」「文史類」等)なる書も

って

いるし、

『極玄集』

を編纂

した

銚合

にも

『詩

例』

一巻

(『新唐書』巻六十

「藝文志」「文史類」等)が有

る。

これらは

いず

れも唐人選唐詩と詩格

の書と

に密接

な関わ

りが有

ことを物語

っている。

『風騒旨格』を作

った齊己も絞然と

この銚合とを並べて次

のよう

に詠

んでいる。

公評衆製 書

(咬然)は衆製

を評し

挑監選諸

文 銚監

(挑合)は諸文を選ぶ

(『全唐詩』巻八百四十

一「寄南徐劉員外二首」其二)

のよう

に駁然が

『詩議』や

『詩式』

いう詩格

の書

で詩

〈評〉

し、また挑合が

『極玄集』

で詩を

〈選〉

んだ

こと

は両者

に通底するも

のがあることを認

めて

いるのであ

る。

しかし、

かと

ってこの両者が

ったく同じよう

に扱

われ

るも

のでもな

い。唐

人選唐詩

は詩格

の書

で引

用される

の掲げ方と異なり、

全篇

を掲げ

て、詩題及び作者を明示している。

これは

一見、当然

のよう

であ

るが、実

はそ

にはより幅広

い読者

を意識

つつ編纂

されたのではな

いかと思われるふしがある。例えば、

『御覧詩』所収

の干鵠

「送客遊邊」詩

には

〈原題

「送張司直

入輩干」〉と

いう

按語が

されて

いるように、

『全唐詩』

では

「送張司直

23

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入軍干

(一作送客遊邊)L (巻三百+)

に作

り、

『文苑

英華』

では

「送張司直牲輩子」

(巻二百九十九

「邊塞」)と作

って

いる。

しかし

『又玄

集』巻中では

『御覧詩』と同様

「送客遊邊」

に作

っているのである。

また

『御覧

詩』所収

宣遠

「塞

下作」

詩は

『文苑英華』

では

「井州路作」

(巻二百九十三

「行遭五」)

に作

り、

『全唐詩』巻

四百六十

も同じ

であ

る。

しかしそ

『全唐詩』

の注にも記す

よう

に、同書巻

七百七十六ではこの詩を楊達

「塞下曲」と作

っているが、

『又玄集』巻上及び

『才調集』巻

七は、

『御覧詩』と同

じく李宣遠

「塞下作」と

している。

このよ

一つの詩

に複数ゐ

詩題が存在す

ることに

ついて、

『御覧

詩』など唐人選唐詩

のテキストそ

のも

のにも問題が存

するようで単純

に言

い切れな

いも

のがあるが、

それにしても

『文苑英華』

『全唐詩』

のよう

『御覧

詩』

『又玄集』

よりも

成書年代

の新

いも

のが

作詩

の情況が

具体的な詩題

(「送張司直往軍干」

「井州路作」)

にな

ってお

り、

『御覧

詩』や

『又玄集』と

った成書年代

のより古

いも

のが、

一般的な詩題

(「送客遊邊」

「塞下作」)

である

は、

ひと

つの傾向として押

さえ

ることが

でき

のではないだ

ろう

か。

つまり唐人選唐詩

は他

の詩文選集が正確な

詩題

と詩句を網羅的

に蒐集す

ることを主たる目的とするも

のと

は異

って

いると

いう見方も成

り立

つのかもしれな

い。

特定

の情況

の下

で、作者

の至

って個人的な体験

によ

って産

み出

された詩を詩人個人

のも

のから引き離

して、

を極度

に限

定させな

い詩題

にす

ることによ

って、幅広く多様な読者

の共感を得

やすくし、更に

は作詩

の参考

に供

しやすくする意図が有

ったと言え

るのではな

いだろうか。

これを以

てより幅広

い読者を意識して

いたと

いう傍

証と

ることも不可能

ではな

いであ

ろう。

一方、詩格

の書

は必ず

しもそ

のよう

にはな

って

いな

い。

つまり

一口に詩格

の書と言

ってもそ

こには色

々なも

のが

る。虚中

『流類手鑑』

のよう

に詩題

は掲げな

いが、作者名

はすべて明示す

ると

いうも

のもあるが、現存

のも

は前掲

の王叡

『爽職子詩格』

のよう

に引用詩

の掲げ方が

不揃

いであ

るも

のの方が多

い。

これ

は何

を意味して

いる

24

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かと

いうと、唐人選唐

詩と異な

って、

必ず

しも不特定多数

の読者

を想定していなか

ったから

ではな

いだ

ろうか。前

の段成式

の聯句

の記事

の如く、贔屓

の詩句を推賞

した

のは坐客と

の交歓

の場

であ

った。詩格

の書もそ

の大多数

限られた場

で論じられたも

のをまと

めた札記

のようなも

のだ

った

のではな

いだ

ろう

か。そうす

るとそれら

の作者が

〈奮題〉とされて不明確

である

のは言う

に及ぼず、作者が明らかにされているも

のも、或

いは本人

の手

を経

たも

ではなく、周囲

の者が書き留めたと

いう可能性も有

り得

るであろう。今

日、伝わ

って

いる詩格

の書

の殆どが完全

はな

いのも

この辺り

に起因して

いるから

ではないだ

ろう

か。

つまり詩格

の書

を支えて

いた人たちの存在を

ここに見

のであ

る。

中晩唐五代の詩格の背景にこついて

これまで詩格

の書

を段成式

の聯句に関する資料など

と重ねて、

このような書物

が成立するそ

の背景

には貢挙

の受

験生

だけ

ではな

い支持者層が存在

して

いたことを述べてき

た。

ここで詩格

の書と聯

句と

の関

係に

ついて附言するな

らば、

『詩議』

『詩式』を書

いた絞然も様

々な形式

で聯句創作

を試

みて

いる。それ

は両者

に文学

の可能性

の追求

いう点

に於

いて通底するも

のが有

ったからで、

段成式も咬然

ほど

の創造力と能力

は望

むぺくもな

いが、

「寺塔記

上」

に収

める二十首

の聯句、

「遊長安諸寺聯

句」

(『西陽雑姐績集』巻五

・巻六)に於

いて多彩な聯句を詠

んでおれば、

いわゆる詩格

に対する興味

の程が十分

に窺

い知

れよう。本稿

では更

に詩格

の書

を唐人選唐詩と比較

して、そ

の引詩

の重複情況などから両者

の関連性を指摘

し、

それらが時代

を反映

している

ことを明ら

かにした。詩格

の書が唐人選

唐詩と異

なるのはそれが表舞台

に上がる

ことが

困難

であ

ったこと

にあ

るが、

これ

は決

して否定的に捉える

ことでも

い。

むしろこのような詩格

の書が伏流水とな

って、後

の詩話

に見える評詩

へと繋

って

いくと

いう、積極的な

25

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い。

『唐

『酉

『類

『盧

こと

は、

の詩

こと

へと

った

は、

の無

の坐

であ

り、

に推

た有

の詩

った

の坐

つい

て補

「旅

は、

(八五

八進士

?)

『詩

「清

一聯

の恵

『冷

「蘇

のよ

ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ

〈長

る塵

に因

り家

へる有

<奮

て多

日、

ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ

の意

て古

の道

ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ

〈長

〉。

〈菖

日、

〉。

「楚

『詩

「清

正」

『又

に引

「秋

『流

「學

「比

『冷

「象

は次

に言

ヘ ヘ へ

に佳

の句

を琢

に意

し某

の句

ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ

の詩

〈雨

に壷

し〉

は、

ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ

日、

「入

は唐

の萢

『雲

「銭

って徐

に競

い負

26

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中晩唐五代の詩格の背景について

に自

の詩

を誇

るく

で引

され

る。

「長劒

天外

・「鯨

成綺

を試

みら

る。

て解

送す

に凝

を以

て元と爲

し、

は其

の次

ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ

り。

曰く

、砧

の詩

〈地勢

かに岳

を尊

び、

に關

に譲

る〉有

り。

士以

く陳

〈日月

は天

を光

し、

山河

は帝

を肚

す〉

は此

れ徒

に前名

りと。

……

ヘ へ

「長劒

天外」

・「鯨

散成

綺」

送以

凝爲

元、

次耳

。張

日、砧

く地勢遙

ヘ ヘ へ

側譲

V。多

士以

陳後

〈日月

天徳

河肚

徒有

「題

山寺

を宋

の胡仔

『漁

話前

三十

は次

のよ

に記す

ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ

『西清

話』

に云

へり、

『百家

選』

を讃

み、其

張砧

「恵

山寺」

〈泉

に到

て墨

色櫻

に上

て多

し〉

を取

「孤

山寺詩

〈櫻

毫碧

に讐

ゑ、

一径

入る。

ふらず

て山長く

ひ、

雲無

して水

ら陰

。断

に荒

たり

て、

に落

花深

し。猶

ほ憶

ふ西窓

の月

、鐘

に在

り〉

を取

らざ

る。

(中

)

て如

かを知

らず

ヘ ヘ ヘ ヘ へ

『西清

話』

云、

『百

詩選

余讃

見其

「恵

山寺

〈泉聲

池壼

山色

上櫻

而不

「孤

山寺

詩」

〈櫻

毫讐

器、

一径

入湖

心。

不雨

長潤

雲水

陰。

橋荒

澁、

空院

花深

。猶

西

窓月

鐘聲

在北

林〉。

(中

略)

知意

何耳

のよう

に無名

の坐

ちが

した詩

が後

の詩

句圖

・詩格

・詩

など

にも供

せら

いると

いう

こと

は注

る。

これ

を詩格

の書

に求

めると、

『爽職

格』

「三韻

膿」

に李

「塞

下曲

を引

いて

いるが、

『槍

「詩燈

(『詩人玉屑』巻二)

「有

三韻

者」

これ

を引

いる。

27

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李洪宣

『縁情手鑑詩格』

「審樹法」

には方

干の

「旅次揚州寓居都

氏林亭」

〈鶴盤遠勢

投孤喚、蝉曳残聲過

別枝

(鶴は遠勢に盤して孤娯に投じ、蝉は淺聲を曳きて別枝を過る)〉

を引

いているが、

『詩話総亀』巻十

「雅

什門下」

には、後蜀

の何光遠

『鑑戒録』

を引

いて

〈方

干詩を爲

るに句を練

りて、字字功有

り、

人云

へり、

《鶴盤

遠勢投孤

喚、蝉曳残聲過別枝》〉と

いい、

『詩人

玉屑』巻

「唐人句法」

「詠物」

にこの

一聯を引き、

『能改齋漫録』

「沿襲」

にも

「山蝉帯響穿疎戸」

〈前輩

は蘇子美

の詩

《山蝉帯響穿疎戸、

野蔓延青入破窩

(山蝉響を帯びて疎戸

を穿ち、野蔓青を延ばして破歯に入る)》

を稻ふるも、

し唐

の方

の詩

《鶴盤遠勢投孤喚、

蝉曳残聲過別枝》

に出

づ〉

いう。

また齊己

『風騒旨格』 「詩有

六義

(三日比)」

に、杜牧

「鶴」

〈丹頂

西施

の頬、霜毛

四皓

の髪〉を引

いて

いるが、 『詩人玉屑』巻十

に陳巖肖

『庚漢

詩話』を引

いて

く鶴を詠むが如き

《低頭乍恐

丹砂落、歓

翅常疑白雪

(頭を低くせば乍ち恐る丹砂の落

つるを、翅を敏むれば常に疑ふ白雪の鎖すかと)》

と云

ふは、此れ白樂

の詩なり。 《丹

西施頬、霜毛

四皓髪》

は此れ杜牧之

の詩

にして、

皆格卑く

して遠韻無き

なり〉と見える。

これら

の例

からも、唐代

の詩格

の書が後世

の詩話と関係がある

ことが証

せられるが、

この詩格

の書が初学者

や貢

の受験者だけを対象

に編

まれて

いたとすれば、

これ

を後

の詩話

へと繋

げる

こと

は甚だ困難

であ

ろう。

これ

は経部

小学類

に分類されていた詩格

の書が

『新唐書』

『宋史』

にな

って集部文史類

に分類されたこと

に象徴的

に見

て取

るように、作

の為

の参考書

を求

める初学者や貢挙

の受験者だけではな

い、そ

こには詩を論

じる

に足りる人

々た

の存在

のあ

った

ことを考えねば

ならな

いのであ

る。そもそも貢挙

に関連して、格が云

々され

るのは当然であ

る。

『唐撫

言』巻十

「章荘奏請追贈

不及第人近代者」

では、

について

〈幼

くして清才有り

て、

徐凝

の器とす

ヘ へ

と為

り、之

に格

律を講

ふ〉と記している。

これ

は徐凝が貢挙

を目指す幼

い方

干に作詩

の手ほどきをしたことをいう

28

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が、

一方、

この貢挙と

は無縁

の人

々の詩文

ついて格が云

々され

ることがあ

る。睦州刺史

の任

にあ

った四十

四歳

杜牧

「刑部崔尚書

に上る

の状」(『焚川文集』巻十六)の冒頭、

〈某、流輩

に比して、

疎潤傭

怠にして趨饗す

ると

ろを知らず

して、唯だ書

を讃むを好むも忘れ

ること多

く、文を爲

りては格卑

し〉と謙辞

ではあるが、自分

の文

の評

〈格〉

を使用

している。また

『唐掠言』巻十

「海叙

不遇」

にも

〈閾

廷言

は豫章

の人なり。文格高絶

にして、威

通中、初

め來鵠と名を齊

しくす〉

とあり、

また同巻

く周賀少く

して浮圖

に從

ひ、法名

は清塞、挑合

に遇

ひて初

に反

る。詩格清雅

にして、頁長

・無可上人と名

を齊

しくす〉とあ

る。

のように詩文

の格が云

々され

るのはそ

んな

古く

はな

いようで、

これも詩格

の発展と関連する事象と

して注目されるが、前述

の如く、詩格

に対する関心が既に

挙を受験する者

たちだけ

に止まるも

のではなか

ったと

いう

ことを裏付け

る有力

な証左

と成り得

よう。

中晩唐五代の詩格の背景について

註ω 二〇〇〇年十

一月十

一日、京都女子大学で開催された東山

之會で川合康三氏は

「中國

の恋愛文学に

ついて」と題する研

究発表

で、

中国古典文学に欠如して

いる

テー

マは

「恋愛文

学」

とともに

「児童文学」が

挙げられる

ことを

指摘してい

る。

北宋、銭易

『南部新書』巻四にも次のよう

に記す。

嚴渾宇子重、善爲詩、與杜.牧友善。皮陸常愛其篇什、有

詩云、春光再再蹄何庭、

向花前

一杯。

蓋日間花花不

語、爲誰零落爲誰開。七上不第、卒於呉中。

なおこの詩は後蜀、章穀編

『才調集』巻十に雑詩十首の其

二と同じであるが、

「無名氏」の作として収める。

杜牧

「和嚴揮秀才落花」詩は左記の如く、皮

日休が引用

する嚴悸の詩と韻字を同じくする次韻詩である。但だこの詩

がテキストとして最も信頼が置ける

『奨川集』ではなく、や

や時代が降

って唐末

に編纂されたといわれる

『焚川外集』に

収められており、皮日休引用詩と比べて、内容的にかなり同

のものがあることが却

って不安

にさせるも

のがあ

る。

共惜流年留不得、且環流

水酵流杯。無情紅盤年年盛、不

恨凋零却恨開。

㈹ 杜牧が池州刺史から睦州刺史

に遷

ったのは

〈會昌五年

(八

四五)〉

ではなく、

翌年

(八四六)の九月で、

抗州刺史に遷

ったのはその

〈後四年〉

の大中七年

(八五〇)

の秋であ

った

ことは、

繹鍼氏の

『杜牧傳』

(一九八〇年 人民

文学

出版

29

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社)に詳しい。

ω 北宋

の敏陽脩

(一〇〇七-

一〇〇七)も

『六

一詩話』の中

で晩唐

の鄭谷

(八五

一?1九

一〇?)

について述

べつつ、自

の幼少期

の読書体験を語

っている。

鄭谷詩名盛於唐末、號雲墓編、而世俗但構其官爲鄭都官

詩。

其詩極有意思、

亦多佳句。

但其格不甚高、

以其易

曉、人家多以教小児。余爲見時、猶論之、今其集不行於

世 。

また

『全唐文』巻七百二十四、李陥

「題恵山寺詩序」に

も次

のような作詩

に関する記載がある。

太和

五年

(八三

一)

四月、予自江東將西飼溶陽、路出錫

邑。困疑業於恵山寺、居三歳。其所調念左氏春秋

・詩

易及司馬遷班固史

・屈原離騒

・荘周

・韓非書記及著歌詩

歎百篇。其詩凡言山中事者、悉記之於屋壁。

『太平廣記』巻

一百八十

一「貢墨

四」は

〈程式〉を

〈程

試〉

に作る。

『全唐五代詩格校考』(一九九六年陳西人民教育出版社).

『全唐五代詩格彙考』 (二〇〇

二年 江蘇古籍出版社)。

ω 前掲註⑥

「詩格論

(代前言)」参照。

⑧ 『日本国見在書目録解説稿 附同書目録索引』 (一九

五六

年初版

一九七六年再版 小宮山出版)。

⑨ 羅根澤

『中國文學批評史』「第四篇 晴唐文學批評史」「第

二章詩格

(上Y

詩格的爾個時代」(典文出版社

一九六

一年十

一月

一日郭紹虞序)

⑩ 前掲註⑥

「詩格論

(代前言)」参照。

ω 今村与志雄氏

『酉陽雑姐』 (一九八

一年 平凡社

東洋

文庫四〇四)第五冊、第

一△

二頁

「逸文」の第九項にこの

記事を掲げ、註⑫でこれが伏文であろうと記している。なお

これとほぼ同じ記載は

『全唐詩話』巻四にも見える。

⑫ 宋、葉廷珪

『海録辞事』巻十九

「文學部下」

「詩門」にも

簡略な記事があり、明、胡震亨

『唐音癸籔』巻二九

にも次

ような記載がある。

韻牒始段成式。段押句好押窮韻、悪韻。其平聲好韻不僻

者、書竹簡、零爲韻牒。又有逓聯、細斑竹爲之、以白金

鎖首、如茶挾形、分客以免互送之煩、今韻牌之類是也。

⑬ この

「句枝」

については宋、

劉才郡

『樵渓居士集』

巻ニ

ヘ へ

「和彰伯荘韻奉酬彰公達」詩

〈句枝到手詩巳就、四坐傭首

甘罰胱〉という句があ

る。

⑭ 蒋寅

『大暦詩人研究』上編

「第

一章

・九飽防、顔眞卿與大

暦雨漸聯唱詩會」 (一九九五年 中華書局 中国社会科学院

青年学者文庫)

及び頁替華

『唐代

集會総集

與詩人群研究』

(二〇〇

一年

北京大學出版社)参照。

⑮ 『太平廣記』巻二百三

「王中散」の項

にも

『耳目記』を引

いて次

のような話を記している。

張道古

(九〇八残)與相善、毎欽其道藝。傳著王逸人傳

爲此也。道古名睨博學善古文、讃書萬巻而不好爲詩。曾

在張楚夢座上、時久早、忽大雨。衆賓皆喜而詠之。道古

最後方成絶句日、

山几陽今

己久、

喜雨自雲傾。

一黙不斜

30

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中晩唐五代の詩格の背景について

去、極多時下成。坐客重其文學之名而晒其詩之拙也。

⑯ 拙論

「段成式

『寺塔記』所収

の聯句について」 (二〇〇

一年 帝塚山学院大学中国文化研究会

『中国文化論叢』第

〇号所収)参照。

⑰ 因みに、張結の

「夕次桐盧」 (『全唐詩巻五百十』)

の第

聯には

〈晩潮風勢急、寒葉雨聲多〉とある。

⑱ 張伯偉

「摘句論」 (原載

『文學評論』

一九九〇年第三期

二〇〇〇年

『中國詩學研究』所収 遼海出版社)。

⑲ 那波利貞氏は

「唐紗本雑抄考

ー唐代庶民教育史研究

資料ー」

(『支那學』

第十巻

特別号

一九四二年

小島本田二

博士還暦記念号

一九六九年弘文堂復刻版)と題する論文に

於いて、当時

の敦燈寺院を中心とした庶民の教育

の実態を敦

煙文献から明らかにしている。そこに引用される資料は中唐

初期から

中唐末期に作られた

のではないかと那波氏が

推定

「雑抄

(P二七二

一)

一名珠抄 二名盆知文 三名随身

寳)」と

いう文書があり、その第六十行めに『文場秀』(孟憲子

作)という書名が見え、これについて次のような言及がある。

『文場秀』も亦文章

の教科書らしい。 『日本國見在書目

録』小學條に

『文場秀句』

一巻

の著録あれども撰者の名

を記さぬ。 『新唐書』藝文志、丁部に王起文場秀句

一巻

あり、巻数も書名も同であるから

『日本國見在書目録』

所見

『文場秀句』は此

の王起

の撰したものであらう。

『文場秀句』が王起

の撰なる上は

『雑抄』所見

の孟

憲子撰の

『文場秀』は全く別種の書籍たるに相違ないが

文場とは官吏登庸試験場の意とも解し得らるれば、登庸

試験それも普通文官登庸試験たる郷試にて敷用あるべき

受験準備書たるを知るべく、先づ名文句の集、模範文集

とも稻すべきものであらうが、郷試準備用のこととてそ

の程度は割合に低く、普通激育の作文の教科書としても

使用されたものであらう。

また嚴耕望氏の山水寺院に於ける知識人の読書に着目した

「唐人讃書山水寺院之風尚」 (一九五九年

『中央研究 院歴

史語言研究集刊』第三十本 下冊)も参照されたし。

⑳ 『唐人選唐詩十種』 (中華書局上海編輯所

一九五八年

北京中華書局景排印本)。

『唐人選唐詩新編』 (一九九六年 陳西人民教育出版社)。

また日本の唐人選唐詩に関する研究は次のようなものがあ

る。

中沢希男

「中興聞氣集考」

(一九六二年

『群馬大學紀要

人文科學編』第十

一巻)。

小川昭

「唐人選唐詩について」 (『全唐詩雑記』

所収

一九六九年 彙文堂書店)。

中沢希男

「唐人選唐詩考」 (一九七二年

『群馬大学教育学

部紀要』

「人文

・社会科学編」第二十二巻所収)。

⑳ 陳尚君

『唐代文學叢考』 (一九九七年 中國社會科學出版

社)所収。

㈱ 書名に関しては、前掲註鋤、中沢希男

「中興聞氣集考」を

参照。

31

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拙論

「令狐楚を通して見

る元和

の文学」

(二〇〇

二年

文社

『中国読書人

の政治と文学』所収)参照。

⑳ 中沢希男氏は前掲註⑳

「中興聞氣集考」

『極玄集』

『中興聞氣集』

の主張を継ぎ

一層それを明白にする目的で編

せられていることを論証している。

『又玄集』

については川北泰彦氏

「『又玄集』

編纂時に

おける章荘」 (一九七五年 九州大学

『文學研究』第七十二

輯)・拙論

「章荘的文學及其時代 ー關干

『又玄集』

的編鋼

意圖ー」 (一九九八年韓國順天郷大學校人文科學研究所

『人

文科學論叢』第六輯)参照。

㈲ 清

の何悼は

『御覧詩』

の践文

〈此書又在

『間氣集』

下、大抵大歴以還悪詩葦於是 〉 〈此書所采大都意凡文弱、

流淡無味殆可當準勅悪詩耶〉と酷評す

(一九

八九年 上海

古籍出版社 傳増湘

『藏園璽書題記』巻十九

「集部九

・総集

・断代」参照)。

㈱「

『唐詩紀事』

二十九

「干鵠」、 『滅奎律髄』

巻三十

「邊

塞類 」は

「送客遊邊」に作

っている。

鋤 『文苑英華』巻二百九十三

「行適五」及び

『唐詩紀事』巻

四十三

「李宣遠」は

「井州路作」

に作

って

いる。

『樂府詩

集』巻九十三

「新樂府僻」

「樂府雑題」

では

「塞下」

に作

り、李宣遠

の作としている。

㈱ 京都女子大学で開催されている東山之會では二〇〇四年

月まで

『御覧詩』

の訳註

(顧況

「題葉道士山房」まで)を行

っていたが、そこで川合康三氏はこのように詩題が

一般化さ

れている事象

の有

ることを指摘

している。

32