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Tchaikovsky : Piano Concerto No.1 Op.23北 川 曉 子
♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・
私の子供の頃はCDなぞという便利なものはなく、音楽を再生するためには、取り扱いに慎重を要するLPしかありませんでした。家には更に古い戦前のSP等もありました。コハンスキー先生にお習いするようになった小学校5年以前のことはあまり憶
おぼ
えておりませんが、以後はレッスンで勉強する曲のレコードをよく買って貰
もら
っていたようです。モーツァルトならギーゼキング、ベートーヴェンならバックハウス、ショパンはリパッティなどに感激しておりました。それ以外にも、ホロヴィッツとトスカニーニのチャイコフスキーのコンツェルトは大好きで、針が飛んでしまうほど何十回何百回と聴き惚
ほ
れておりました。これはライヴ録音でしたので、演奏会の緊張感がぞくぞくするように伝わってきます。さすがのホロヴィッツでもミスタッチはしていましたが、そんなことは些
さ さ い
細にしか感じられませんでした。このピアニストは自分とは別世界のひと、とただ崇
すうはい
拝するのみでした。高校時代はNHKが招いた初めてのイタリーオ
ペラにうつつを抜かし、修学旅行とモナコの「道化師」の公演が重なってしまった時は、風邪ということで修学旅行を欠席してモナコの声を堪
たん
能のう
しました。我が家のレコードはそれをきっかけにオペラ関係が増えました。大学卒業後すぐにウィーン留学が決まった時は、これでオペラ
が存分に聴ける!と嬉しかったものです。実際、その頃は音楽アカデミー(現在はウニ
ヴェルジテートと称するようになりました)にオペラ座から学生用立ち見席を売りに来てくれて、一晩10円(公衆電話1回分)で買えたのです。毎晩公演しているうちの5晩分まで売ってくれましたので、ほぼ毎晩通っていたことになります。ウィーンではあらゆるレパートリーを上演していましたので、モーツァルトやヴェルディなどは良いとしても、ワーグナーはさすがにくたびれました。休憩になると、ロビーのソファーに一目散でひと心地でした。質素ながらも音楽にどっぷり浸
つか
かった、夢のような日々でした。街そのものも歴史的な壮
そう
麗れい
な建物が多く、すばらしい美術品がふんだんにあり、食べ物はおいしいし、それよりまず、第一の目的のピアノのレッスンが充実していたことが幸せでした。ハウザー先生は厳しいことで有名でいらしたそうですが、理に叶
かな
った説明をして下さり、なるほどと納得するばかりで恐いと思った事はありませんでした。グループレッスンでしたので、上手な生徒の演奏はとても勉強になりました。その際、先生がどんな方向からアプローチなさりアドヴァイスされるかも勉強になりました。優秀な生徒の多いクラスだったので刺激に囲まれて、恵まれていたと思います。
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♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・♪・
自分が目指した勉強の方向が間違いではなかったらしい、と安心しつつこれからガンバルゾ!と張り切っていたある日(まだ1年経っていませんでした)先生からお電話があり、あさってのマチネー(午前)でチャイコフスキーのコンツェルトの第1楽章を弾け、とのことでした。この時は下宿に電話を引いたことを後悔しました。ドイツ語だって怪しいのに、電話が繋
つな
がってしまったばかりに難題が降
ふ
り懸かか
ってしまった、と思いました。同じクラスの友達は優秀な人が多かっただけに、リサイタルを控えているとかコンクールが近いとかで暇人がいなかったらしく、新
しん
参ざん
者もの
の私まで話が来てしまったようです。若い人たちに聴かせる鑑賞会らしく、誰かがキャンセルになって、先生に紹介の話が飛び込んだのです。あいにく私はそれまでにチャイコフスキーを弾いた事がありませんでしたが、先生が仰
おっしゃ
るのだからひょっとしたら出来るのかも知れない、と思う事にしました。まず楽譜を買うことからです。幸い中心地に近いところに住んでいましたので、歩いて買いに行き、夜までかかって譜読みです。この時まざまざとホロヴィッツのレコードが蘇
よみがえ
りました。僅わず
かですが、ホロヴィッ
ツのミスタッチを私が正しく弾くと、逆に間違ったかな?とびっくりしてしまう風でした。翌日の午前には先生のお宅にレッスンに伺い、夕方に学校でもう一度見て下さいました。1つの楽章とはいいながら、立派なカデンツまでありますから、全体の半分以上になるのではないでしょうか。先生も心配になられたようで、譜面を置いてもいいよ、と言って下さいましたが、現実は見て弾ける代
しろ
物もの
ではありません。結局暗譜をしました。あの憧
あこが
れのムジークフェラインザールで、高校生を前にしてですが演奏させて頂けたのです。無意識にもホロヴィッツをなぞりながら必死でした。一日半しかなかった事、1
日に2回レッスンを受けた事は忘れられません。どんなドレスを着たかは忘れました。
その後帰国してからの私のコンツェルト回数ではグリーク、ショパン等と並んでチャイコフスキーが多かったようです(但
ただ
し、これは私の好みというより世間の好みでしょう)。私にはやはりチャイコフスキーのコンツェルトとホロヴィッツはだぶって存在しています。
(きたがわ あきこ 東京芸術大学名誉教授)